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店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

misebiraki.exblog.jp
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2009年 02月 22日

歩きニスト

無理に自分を出さず、人に歩調を合わせることを
良しとして育てられてきた。
でも最近それじゃダメだということがそれなりに分かってきた。

そんな中、唯一自分が主人公になれることがある。
散歩である。
自分の目と耳と足・・・全身が頼りだ。

自動車だったら標識に縛られたり、車幅を気にしたり、いろいろ交通法規を遵守しなくては
いけないが、
一方通行の道だって逆方向に進めるし、
狭い道だってすいすい、ひょいひょい行ける。

前を行くノロノロ運転の車にやきもきしたり、
反対に猛スピードで暴走する車に気分を害されずに済む。


最近ブームの自転車にも余裕で勝ってしまうことがたくさんある。
走っているとき、気持ち良い風を感じることあるが、それは言うまでもないが、
自転車に乗っているために起こる風である。自然に吹く風を感じるためには歩いている
ときに感じるべきである。

また自転車だと一瞬で通り過ぎてしまう景色もきちんと噛みしめることができる。

健康効果で言えば、自転車は徒歩より代謝量は高いそうだが、
それだったら、自転車で消費されるのと同じカロリー分だけ歩けばいいことである。


もう1つ、これまた大ブームのジョギングも、今述べた自転車とほぼ同じ理論で
散歩の優越性を説くことができる。


さらに散歩がいいのは、迷子になれることである。
迷子になってしまうのではなく、積極的に迷子になるのである。

知っている場所、歩いたことがない場所に関わらずに、思いのままに曲がり角を曲がり、
また曲がり、曲がる。
かつてブラックマヨネーズの吉田がM1で「そんなこと繰り返したらオレ全然知らんとこ行く
やないかい!」と言っていたが、
まさに自分がどこにいるのか分からない気持ちにふいに襲われ、
家にもう一生たどりつけなくなるのではないかという不安が広がる。

と言っても、ここは東京である。田舎の、街灯も全くない幹線道路でも、
自分が歩く前はいつ誰が歩いたかさえ分からないあぜ道でも、
森の中のけもの道でもない。
大通りは何となく感覚で分かるので、不安に襲われつつも、意外と楽観視している自分がいる。
そんな安心感があるのが東京の道である。
そんな不安と安心の狭間にいるためか、ゾクゾクするほど快感なのである。

そして・・・
夕闇が迫り、あたりが夜が支配するようになると、
もはや自分が自分じゃなくなり、自然の一部になっていく。

・・・自然の一部になる?
なんか頭がおかしいと思われるかもしれないのでこの辺でやめておくが、
迷子になることは、知らない場所へ行くのにしても車にカーナビが付いていればひとっとび、
分からないことでもネットで一発検索できるこの日本において非常に貴重な体験
と言えるかもしれない。
もちろん山で遭難したら命の保証がないからそれは除外するとして。


今の子供の行動範囲は治安やら犯罪や何やらでどんどん限られ、
携帯やDSやらで指先5cmまで狭まっている。

そんな子供に視野を広げさせたいと、南の島とかへ子供だけで行かせる船の旅
はあるが、そんなことをするんだっらた自分の街を歩かせてほしい。

また大人の間でも秘境ツアーがはやっているが、
別に秘境と呼ばれているところまでわざわざ時間とお金をかけて行かなくても、
道を1本曲がりさえすれば、まだまだ秘境は眠っているのだ。

今日2月22日で34歳。
親に感謝することは数えきれないが、
ここまで何時間も歩ける足をつけてくれたことに感謝である。
うん、足に感謝だな。
これからも傾斜は山ほどはないが歩いて行こう。

by misejimai | 2009-02-22 02:21


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