「建設予定地」には、かつて別の建物があったということを忘れたくない。
夕暮れの渋谷・池尻大橋。
ビルに邪魔されて満ち欠けの激しい太陽が、駅から吐き出される人の波を照らし出す。
1日の疲れを背負ってくる人々は皆うつむいて、帰途につくために前を向いているはずなのに、何か「後ろ」に歩いているように思える。
人の流れに身を任せてついていった時、並びにあったはずの「一楽」が無かった。
いや正確には店舗はあったのだが、まるで廃屋のように息を殺してたたずんでいた。
一楽と言えば、きくらげの玉子炒めが美味しかったな。
松崎しげるも常連だったそうだ。
そして扉には、店を「廃屋」たらしめる何よりの証拠が貼ってあった。
向かい側に移転したのである。完全になくなったわけじゃないことを知って
ホッとした。
ふと目をやると、数m先にもう1つ看板があった。
それによると「一楽」の跡地には、高速道路のジャンクションができるらしい。
そう言えば、中央環状線が池尻大橋で東名と繋がると誰かが言っていた。
店がこれまで続いてきた33年間と、これから続く高速道路の100年と、
どちらが大事かなんて比べられるものじゃない。
でも、高速道路のループを造るコンクリートの中には、かつてラーメン屋があったことを
少しでも長く、多くの人の記憶にとどめてもらいたい。
「旧一楽跡」と心に石碑を打って僕は別れを告げた。