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店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

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2009年 07月 21日

たかだか二輪ごときの抵抗

たかだか二輪ごときの抵抗_e0030939_0505614.jpg今日の店じまいは、4月30日に閉店した常陸屋(ひたちや)。※だいぶ更新が遅れた。

創業54年、築地にあった料理道具のお店だ。
築地といっても、有名な市場の中ではなく、築地の交差点近くにあった。

店主の廣田正純さんは今年60歳。彼が小2のときに父親がお店を始めた。
「親父はリヤカーで回ったりして頭下げて厨房機器を売っていました」

仕事中心の生活に句読点を打つことなく、ひたすら働いていたお父さん。
その背中についていった廣田さんは、商売は大変だなあと感じていた。




10年ほど前に先代から引き継ぎ、店を任された。
「父親みたいに御用聞きになるスタイルを避けて、
 店に自分がいて、お客さんが持ち込んだ厨房機器を修理したりするようにしました」。


たかだか二輪ごときの抵抗_e0030939_05128100.jpg廣田さんは、1階にお店が入っていたこのビルの裏で家族全員で住んでいた。

このビルは古い建物ファンには有名な「華僑ビル」。
建てられた80年前は街一番の洒落たビルだった。
最上階のパーティールームは、かの力道山や兵隊の娯楽施設として重宝された
という。ミニシアターもあった。エレベーターガール、電話交換士などもおり、昭和の
熱気を放射していた。
今やグリーンネットで身動きがとれない。





















たかだか二輪ごときの抵抗_e0030939_0524558.jpgビルのオーナーが中華系ということもあり、多くの
中国人がお店をやっていて、さながらチャイナタウンと化していた。
当時は文化大革命。大陸派と台湾派に分かれての彼らの議論に、青春時代の廣田さんも加わり、激論を交わしたという。

だが別のオーナーに代わり、取り壊しが決定。
最盛期には73軒あったテナントは全て
撤退、移転。
去年の春、喫茶店ライライが出て行って、常陸屋は最後の1軒となった。

「私の他に、このビルのことを知っている人はいなくなりました」




ビルの歴史が終わっても、
店の歴史に暖簾をおろすわけにはいかない。
廣田さんは築地場外市場に移転することを決めた。


たかだか二輪ごときの抵抗_e0030939_0555037.jpg移転後のお店だ。
だいぶ小さくなったけれど、
「あそこにあったお店?」と通りがかりの人が尋ねてきてくれるという。
「常陸屋の名前で買ってくれることがありがたいです」。
現在は、娘さんが店主として切り盛りしている。
業務用の調理器具に加えて、家庭用の台所用品も取りそろえている。

タワシの花が咲く
真夏のクリスマスツリー。




















そして、もともとのビルの隙間からは二輪のタンポポが咲いていた。
たかだか二輪ごときの抵抗_e0030939_0562650.jpg

ビルは今年中の取り壊しが決定している。
綿毛は春にならないと出ない。
このタンポポからの命の引き継ぎはもう見られない。
それでも取り壊しに対して、あらがっているかのようだ。
たかだか二輪でどうしようというのか。
駄文を書くだけで何もできない自分がいる。

by misejimai | 2009-07-21 02:11


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