店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

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2010年 10月 24日

備忘録

幼いころ、誰も歩いていない雪道を踏みしめるのが好きだった。
世界で初めて歩くその足跡。
もしかしたら雪が溶けるまで永遠に誰も自分の足跡を追ってこないのではないかという
秘密にも似た快感。
誰もやらないことをしてみたい。自分しかできないこと。
ずいぶん遠回りしたが、見つけたような気がする。

家から見える山の向こうに農林水産省だかの保養所の廃屋があった。
さびれた屋根と朽ちた壁。栄華をせせら笑うように生えまくる草たち。
なぜか家屋の前には踏切があり、中には入れない。
しかし、そんな時間が止まった空間に、いつか母親が散歩している途中に逃げ出してしまった愛犬とたわむれに行くのが好きだった。
踏切をまたぎ、中へ。誰もいない場所のはずなのに、人いきれと影が昔にあったことを
思うだけで妙なロマンに駆り立てられた。
古代の遺跡ではない、超近代の遺物に、その止まった時と心を重ねてみる。
春夏秋冬、ひんやりと体を抜けて行く風。

閉店の店になぜか惹かれてしまうのは、あの頃感じていた風を感じたいからかもしれない。
24時間、誰かしらが歩いている人口密度の濃い都会。その中で、人が立ち去ったそして近寄らない場所でひそかに逃げ込んで、味わいたいからなのかもしれない。

これは、熟しきり、落ちていった命を拾い集めてまとめた本である。
でも干し柿や、干しブドウといった熟し切った食べ物は苦手なのだから人間というのは
実に不思議に出来ている。
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# by misejimai | 2010-10-24 07:45
2010年 10月 19日

日本一まずいラーメン屋

これまた備忘録なのであしからず。まったく文章になっていません。
いずれちゃんと形にします。

今年1月に閉店した日本一まずいラーメン屋「彦龍」。
サンジャポのジャーナリストが来ていた。多摩テックに次いで2回目だ。インタビューされそうになったので断った。

取材日を確約して行ったら、休みの看板。
その場で携帯で店に電話をしたら、たぶん2階にいるのだろう、
電話口で聞こえてくる話し声が2階から聞こえた。
「そんなの約束した覚えないよ。またにしてくれ」。

空振りのため2度目の取材。
原憲彦さん62歳
原因を聞くと、
「足の軟骨が溶けている」
「肺炎になりかかっている」と体の不調が原因。

2009年夏。年末にすでにやめようとしたが、何人かの人が続けて欲しいと、7月にロフトでイベントを開いてくれた。
ただそのときも足が悪く、階段の手すりにつかまりながら歩いていた。

ちなみにそのときなぜか大喜利も開かれ、原さんも答えた。
「店が放火魔に襲われないための画期的な対策は?」
「やれるもんならやってみろ」

「ラーメン屋でラーメンを食べたお客が「お金がない」といわれた。どうする?」
「110番を呼ぶ」

「巨乳の魅力を分かりやすく伝えて下さい」
「ボインは触り心地最高だけどペチャパイはダメ」


さらに高まるお客さんの「やめないで」の声に押されて年を越して、1カ月延長。
1月に閉店したというわけだ。

いろいろな店を渡り歩いた原さん。
上野御徒町、駒込、茅場町、田無、大塚のホープ軒などなど。
なぜ渡り歩くかと言うと、「1軒の店の味しか覚えられないから」。
それを繰り返すこと20年。
修業し続けた一匹狼。

そもそもラーメン屋に身を投じたのは、
中学卒業後、1年何もせずにいたら、母親に「どこへも行かないなら働け」と言われて。
「食べ物屋は食いっぱぐれがないので食べ物屋がいいな」と探していたら、
何かで見かけたラーメン屋のバイト募集があったのでそれを応募した。
そして20年後、自分で開店。

すでに父親は他界していたが、母親は独立し、自分の店を開店した年に病死してしまった。
入院にしている近くの病院に自分の作ったラーメンを持って行ったが、麺が延びて美味しくなかったようだ。

それまでは、今やっていた場所ではないところで開いていた。
主に仕事終わり、飲んだ客が来ていた。
夕方から朝4時までやっていた。
フリーの客が多く、常連客はいなかった
ただ特にまずと言われるわけでもなく「普通」だったと思う


そしてここへ移転。
すると「ごっつええかんじ」で取り上げられた。
「日本一まずいラーメンを作ってくれるラーメン屋を探しているんです。
 出てくれないか」という。
「最初は断った。だって、そんなこと全国に知れ渡ったらつぶれちゃうから」

出演を決めたのはギャラの額。
1回5万円で出演していた。

93年に出演したこの年、大人気となり、1日300杯も売り上げた。

「そのあと6年ブランクがあるんだ。うちがもう一度ブレイクしたのはタケシムケン」。
ビートけたしと志村けんの2人によるバラエティ番組で企画された
「日本一まずいラーメン王決定戦」
ここで6連勝し、6回目に志村さんが来た。

「やっぱり美味しいラーメンを作ろうとしました?」
「オレは志村さんの大ファンだから うめぇとかまずいとか関係ねぇ」
 そして裏側を明かすと、7週目で負けることになっていた。

「ほいでよ最初はグーじゃんけんポイを言いだしたのは志村さんなんだ、しらねぇだろ」
ドリフ好きならだれもが知っている事実、だが「知ってる」と言えず言葉を飲み込んだ。

「もう一度志村さんに会いたいですか?」
「1回会ってみてーなー」


「いや、タレントの気持ちも分かるのよ。美味しくても美味しいと言えない。
 タレントさんに会えなくなるのは寂しいけど、でも毎日毎日入れ替わり立ち替わり
 来てるわけじゃないし、そこまで我慢してまでやることじゃないからねしょうがないね。

「味は人によって好みがあるのよ。
 でも僕に言わせればみんなひこりゅうのラーメンはまずいと思って店に来るからダメ」


プライベートでは33歳で結婚したが4年で離婚した。

「閉店を決めてから初めて来るお客さんにはどう思いました?」
「駆け込み寺みたいに閉店するって聞くといきなり来る。
 20年を日に直すとえらい日にちだよ。来れないわけがない。勝手だよなあ。
 だってここから近い団子坂に住んでたおばさんがいてさ、
 『どこから来たの?』と聞いたら『団子坂ですよ』って。
 『彦龍やめるんですって?ネットに出てたから、閉める前に来ようと思って』。
 20年の間に来れるだろ。日にち計算したら。閉めるから慌てて来やがって」


食べにくるお客さんは大体分かっている
すっごい話したい
一緒に写真撮ってくれ じゃあ200円 今までで1万円くらいにった
店のファンピョコタンさんと旅行にもいっている
ロフトのライブも開いてくれた


余生は西日暮里のパチンコへ自転車で行って打つという。
「テナントは売る、貸そうと思ったけどいろいろめんどくせーから」
志村さんとたけしさんには感謝してる。


「お手伝いする人とか弟子とか雇おうとか思わなかったんですか?」
「思わない。全部で店は7席そのくらいさばけないようじゃ・・・」
「プロじゃない?」
「そうプロじゃない。まずいラーメンと美味いラーメン両方作れなきゃダメ」
「ものはいいようですね」


「ホンジャマカの石塚さんは来られた?」
「石塚と会ったって仕方がない。なんか近くの根津にしょちゅう歩いてるよ。でも石塚はこんな店
 来たらびっくりするだろうる。まあこれだけの大物と会ってるから別に」


「是非一度食べさせたいのは誰ですか?」
「安めぐみだね、オレファンなんだよぉ、カレンダー2階にもあるし、目が癒し系で好きなんだよ
 ねぇ、裏じゃどうなってるかしらないけどさ」


完全自腹でやっているこの取材、なけなしのお金を封筒に詰めて取材費として渡すと
「え、これっぽっち」
「すみません」
「しょうがねえなあ」


店で一緒になった池袋から来た青年4人。
ダウンタウンの番組を見て行こうとようやく決めたという。
だが頼んだ野菜炒めに味がないのか、コショウを足していた。
だが食べている途中あり得ないむせてた。

僕のほうが先に野菜炒めを頼んでいたので原さんに「すみません、僕、野菜炒め
頼んでたんですけど」と言うと、「え?そうだっけ」
出てきた野菜炒めは、ハンパないザク切り。しかもコゲている。


店を出ると時ならぬ行列。初めての客がおそるおそる入っていく。
入る勇気も並々ならぬものがあるのだろう。

店から出てきた16歳の高校生2人。
「どうだった?」
「いままでたべたことない味」
「食べられる不味さ」
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# by misejimai | 2010-10-19 12:57
2010年 10月 19日

ゆずが来るという嬉しいデマ

今日の店じまいは、一昨年10月26日に閉店した横浜・松坂屋。
※未だ見に来てくれる読者の方には申し訳ないんですが、ひとまず備忘録のために書いてあるもの
 ですのでご容赦ください。

今までデパートの閉店はダイエーの船橋店と、中野の丸井本店を見てきたが、
今回は興奮の絶頂にあった。
平成のさわやかフォークデュオ、ゆずの聖地だ。
彼らはこの松坂屋の前で路上ライブを行い、人気が火がつき、羽ばたいていった。

そんな最終日にやってきた。そう、ゆずが来ることを期待しつつ。
でも
「松坂屋のまの字も興味のない人が最後は来るんだよね」
通りがかりの人が言った。
確かにそうかもしれない。

他の人たちも、何かを期待していた。ピースして記念写真撮っている。
なんだか終わるというのに、変な空気が取り巻いている。

店の前で何か人々が議論していた。
「テナント料払えないらしいね」
「横浜市民とかが寄付して買い取ればいいんだよ」
「横浜はこういうの大事にしないからね」
「前にある有隣堂が買い取れば」

目立ちたがり屋のおじさんがいた。
「ゆず来ないの?ゆず来ないんだったらおれが歌おうか」
笑いが起きた。


閉店を待っているでもなく、なんとなく僕らのように佇んでいる中年の女性に聞いた。
「お母さんゆず知ってるんですか?」
「うん知ってる。歌はよく分からないけど。
 5、6年岡村町に住んでたことがあって、そこの中学のジャージとか知ってるわよ
 仕事でよく通りかかってた。
 松坂屋はいつも人がいなかった。
 この土日はすごい来て。
 こんなことになるんなら、いつも来てくれればいいのにねえ」


同じファンと思しき人々勝手に持久戦を繰り広げる。
あと2時間。

「ドラマだから忙しいんだよ」
「明日来るかも」
「今日じゃないかもね」
そう言い合っている人もいる。

みんな、お互いの目を見て信じあえる心を何とか保っている。

しかし何も起こらず、何も起きずに時計の針は進み続け、
三々五々、人々はいつのまにか去って行った。
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# by misejimai | 2010-10-19 11:56
2010年 10月 13日

温度差

あの日行けなかった六厘舎へ行ってきた。もちろん閉店したあとである。
六厘舎を経営している広報の方から、
「是非行ってみてください。あそこへは今から考えたら出店しません」
としきりに言っていた。
ネットで調べたおおざっぱな地図。
ノートの切れ端に書いていたら、肝心の目的地部分が破けていて、よく分からない。
でも住所は書いてあったのでそれを頼りに行く。
西口。
西口、と。
東口はカフェ・ウブドの閉店のときに行ったが、ほとんど降りたことはなかった。
多分閉店の旅以来5年ぶり。
あのときのつけ麺大王は君臨している。
この道か。
坂道を上がっていく。住宅街へ。多分そうだ。そう言っていた。
帰宅途中のOLやサラリーマンが坂をおりてきたり、あがってきたり。
僕はそのどこにも属していない。
まさか閉店後来るとは誰も思うまい。
夜道をあがっていく。くだんの住所へ。民家っぽい。ぐるっと回ると確かに貼り紙がしてあった。「一時閉店」と書いてある。「物件を一生懸命探し中」とも書いてある。

話を聞いたとき広報の人が言っていた。住民にとっては「近くて遠いラーメン屋だった」と。
ちょっと名言である。

行列で閉店。
そんな理由聞いたことがなかった。
確かに閉店したことが記事になっている写真や、ラーメン屋の特集本では、店を囲むように並んでいたっけ。
今ではあの喧騒が嘘のようである。もしかして嘘なのか。
何事もなかったかのように人が行きすぎる。
住民が自転車を蹴って家路に急ぐ。

老人ホームで仕事をしているという人が施設の裏手でタバコをくゆらしている。
「ああ、行列並んでたね。迷惑してた?人それぞれじゃないの?だって必死でしょお店にしちゃ。
僕は行列並んでる店行かないの。美味しくないじゃん。並んでて行って食べて
美味しかったためしがない。だって池袋の大勝軒だって一度も・・一度も行ったことないもん」

お店の真裏の家。
用件を伝えるとインターホン越しに
「ご苦労様です。でもマスコミには一切答えてこなかったから」
だから、そういうのは受けてませんので」

裏手の家。中で子どもたちが騒いでいる。
インターホンを鳴らす。
「わ~誰か来たぞ」
しばらくして母親らしき人が出た。
要件を伝えると、「いま忙しいので」ガチャ。

店の左隣の小売店。野菜や生鮮食品などを売っている。
特に買うものがないので、仕方なく店の外からアイスを取りだしてレジへ。
「行列で大変だったんですよね」
「ああ、そういう人もいたみたいね。家の前に並ばれたらたまったもんじゃないもんね。
わたしのところには並んでなかったから良かったけど」

坂の途中の酒屋。
ジュースらしきものも見つからないので、普段あまり飲まず、買いたくもない熱いコーヒーを中から取り出して買う。
「六厘舎閉まっちゃいましたね」
「ねぇ~・・・・」
「えぇ・・・・・・・・・・・行列で迷惑されてたって聞きましたけど」
「お店、次決まったのかい?」
「えッ? 今探してるらしいんですけど賃料が高いようで・・・」
「ああ、そう、、、、早く決まるといいねぇ」


帰り際、先ほどの家から子どもの嬌声が聞こえる。
不発。何も収穫が無いまま帰ることにする。
バッグに入れていた缶コーヒーが、アイスを溶かし、べちゃべちゃになってしまっていた。
こうしてる間にも溶けて行く。
大崎へコーヒーとアイスを買いに来ただけだった。
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# by misejimai | 2010-10-13 18:44
2010年 09月 04日

始まりの場所の終わり

閉店の探検をしていると本当に自分の思い出の場所に行きあたる。
自分はゆずの大ファンで家人と一緒にファンクラブにも入っている。
横浜アリーナでのライブ終わりは必ずと言っていいほど、ある場所でファン同士、ささやかな
打ち上げをするのが習いとなっていた。
それが、関内駅すぐそばにある居酒屋「富貴(ふうき)」(今は居楽座「富貴」)だ。

そこはかつて、ゆずの2人がまだデビュー前バイトをしていた場所。
地下に下りる階段の先にある店で、カウンター、普通の4人がけのテーブル、そして
奥に畳の居間があった。
普通のメニューも多数あるが、
ゆずっ子のために、「春風」「ルルル」「夏色」「恋の歌謡日」などファンにはおなじみの
名曲をモチーフにしたカクテルも裏メニューとして用意してくれていた。
さらにトイレの脇にはこのお店を訪れたゆずっ子からのメッセージや、ゆず2人の写真などが
張られており、ゆずっ子には松坂屋に次いで聖地とも呼べる場所だった。


閉店を知ったのは先週日曜日のことだ。
実はその日に閉まるつけ麺屋「六厘舎」へ行こうと思って向かう準備していたのだが、
直前、PCに「富貴 閉店」の情報が届いた。
チェックしたい言葉を登録しておくと、数多くのニュースやブログから自動的にその言葉が書かれた記事をピックアップしてメールに届けてくれる「グーグル アラート」に入っているため、
こういうことができる(自慢するほど新しいサービスではないが)。

8月20日に閉まったという。
閉店してもう1週間も経っていた。ファン失格とは言わないが、以前よりちょっぴりゆず熱が
冷めていた僕を戸惑わせるに余りある事件だった。

とるものもとりあえず横浜・関内へ向かう。
このときの気持ちは、親が何の前触れもなく死んだときに実家へ駆けつけるその切なさ、やるせなさに似ている。と言っても、まだその時は幸いにして訪れていないが。

向かう途中、暑さの中で朦朧としている頭の中に、あの日が少しずつ甦ってくる。

ファンサイトで知り合った少年と僕ら夫婦、そして僕の友達。
飲み会のメンバーは決まってこの4人。
話すのは、直前にあったゆずのライブの内容より、恋愛や結婚、仕事の話がもっぱら。
「いつも、ゆずのこと話さないね~」が口癖だった。
そして、ゆずサワーで乾杯するのだった。


店に到着した。
夕方5時というのに、一向にかげりを見せない日差し。
道端にはチューインガムが歩道に四方にへばりつき、感傷に浸る僕を素っ気ない態度で迎えてくれた。

貼り紙を見た僕は顔をこわばらせた。
慣れたふりを装ってカメラを向ける。
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e0030939_130893.jpg入口の自動ドアの向こうではすでに解体作業が始まっていた。
中にいる若い男性作業員に声をかけると、別段不思議そうな表情も見せず答えてくれた。
同じようにここを訪ねて聞くファンがいるのだろうか。

-どうして閉まったのかご存知ですか?
「オーナーが代わるんですよ。
 別の居酒屋ができるっていう話です。
 最後の日には店員みんなで打ち上げしたみたいですよ」
-店内に張ってあった写真とかファンからのメッセージはどこに行っちゃったんですか?
「いやあ、分かりません」

















隣の和菓子屋さんに聞いてみた。
年配の女性が愛想よく出迎えてくれた。
隣の若い店員は特にゆずに思い入れもないようで憮然としている。特に店の商品を買うこともないせいか。
-隣の富貴、つぶれちゃったんですね。
「そうなんです」
-ゆずの2人に会ったこととかってあります?
「ええ、バイトしていた頃、ここにもお釣りくずしに来てましたよ」
-このお店に、ですか?
「ええ。2人して来てましたよ」
-どんどんゆずの想い出の地がなくなっていって残念です
「ええ、ほんとに」

その隣のCD屋へ。店の外に新曲「慈愛への旅路」絶賛発売中のPOPがある。
穏やかでどちらかというと気弱そうな店員がレジに立っていた。
-富貴、閉まっちゃいました。残念ですね
「そうですねぇ。僕が気付いたのが翌日の21日です」
-ここにはゆず来てたんですか?
「うーん、来てたかもしれないです」
-店員さんは富貴には行ったことあります?
「店長がよく行ってたっていうのは聞いたことあります」


2階も同じような居酒屋だった。「弁慶」という。
開店前、レジチェックをしていた店長らしきおじさん。
「もう、ゆずもダメだね(いや、ゆずはダメじゃないよ!と言いたかった)
 頑張りきれなかった。ゆずが働いてた頃は結構お客さんも入ってたんだけどね。
 うちも、ここの他にも前は5店舗、店出してやってたけど全部辞めて、今はここだけ。
 どこもダメでしょ今、居酒屋は。
 裏も辞めちゃったし。隣も全滅だし」


去ろうと踵を返すと、
「また来てくださぁ~い」とセールストークは忘れないおじさんであった。

その日のオススメは「豆腐ステーキ」と「マグロのユッケ」「スズキの刺身」だという。
悔しいけど美味しそうだった。でもここには申し訳ないけど二度と来ない。
店を選ぶセンス、見る目がない人が多いと自分に言い聞かせて横浜をあとにした。

解体工事で木材や金属を切る音が地下からずっと響いていた。
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# by misejimai | 2010-09-04 13:14