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2010年 09月 04日

始まりの場所の終わり

閉店の探検をしていると本当に自分の思い出の場所に行きあたる。
自分はゆずの大ファンで家人と一緒にファンクラブにも入っている。
横浜アリーナでのライブ終わりは必ずと言っていいほど、ある場所でファン同士、ささやかな
打ち上げをするのが習いとなっていた。
それが、関内駅すぐそばにある居酒屋「富貴(ふうき)」(今は居楽座「富貴」)だ。

そこはかつて、ゆずの2人がまだデビュー前バイトをしていた場所。
地下に下りる階段の先にある店で、カウンター、普通の4人がけのテーブル、そして
奥に畳の居間があった。
普通のメニューも多数あるが、
ゆずっ子のために、「春風」「ルルル」「夏色」「恋の歌謡日」などファンにはおなじみの
名曲をモチーフにしたカクテルも裏メニューとして用意してくれていた。
さらにトイレの脇にはこのお店を訪れたゆずっ子からのメッセージや、ゆず2人の写真などが
張られており、ゆずっ子には松坂屋に次いで聖地とも呼べる場所だった。


閉店を知ったのは先週日曜日のことだ。
実はその日に閉まるつけ麺屋「六厘舎」へ行こうと思って向かう準備していたのだが、
直前、PCに「富貴 閉店」の情報が届いた。
チェックしたい言葉を登録しておくと、数多くのニュースやブログから自動的にその言葉が書かれた記事をピックアップしてメールに届けてくれる「グーグル アラート」に入っているため、
こういうことができる(自慢するほど新しいサービスではないが)。

8月20日に閉まったという。
閉店してもう1週間も経っていた。ファン失格とは言わないが、以前よりちょっぴりゆず熱が
冷めていた僕を戸惑わせるに余りある事件だった。

とるものもとりあえず横浜・関内へ向かう。
このときの気持ちは、親が何の前触れもなく死んだときに実家へ駆けつけるその切なさ、やるせなさに似ている。と言っても、まだその時は幸いにして訪れていないが。

向かう途中、暑さの中で朦朧としている頭の中に、あの日が少しずつ甦ってくる。

ファンサイトで知り合った少年と僕ら夫婦、そして僕の友達。
飲み会のメンバーは決まってこの4人。
話すのは、直前にあったゆずのライブの内容より、恋愛や結婚、仕事の話がもっぱら。
「いつも、ゆずのこと話さないね~」が口癖だった。
そして、ゆずサワーで乾杯するのだった。


店に到着した。
夕方5時というのに、一向にかげりを見せない日差し。
道端にはチューインガムが歩道に四方にへばりつき、感傷に浸る僕を素っ気ない態度で迎えてくれた。

貼り紙を見た僕は顔をこわばらせた。
慣れたふりを装ってカメラを向ける。
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e0030939_130893.jpg入口の自動ドアの向こうではすでに解体作業が始まっていた。
中にいる若い男性作業員に声をかけると、別段不思議そうな表情も見せず答えてくれた。
同じようにここを訪ねて聞くファンがいるのだろうか。

-どうして閉まったのかご存知ですか?
「オーナーが代わるんですよ。
 別の居酒屋ができるっていう話です。
 最後の日には店員みんなで打ち上げしたみたいですよ」
-店内に張ってあった写真とかファンからのメッセージはどこに行っちゃったんですか?
「いやあ、分かりません」

















隣の和菓子屋さんに聞いてみた。
年配の女性が愛想よく出迎えてくれた。
隣の若い店員は特にゆずに思い入れもないようで憮然としている。特に店の商品を買うこともないせいか。
-隣の富貴、つぶれちゃったんですね。
「そうなんです」
-ゆずの2人に会ったこととかってあります?
「ええ、バイトしていた頃、ここにもお釣りくずしに来てましたよ」
-このお店に、ですか?
「ええ。2人して来てましたよ」
-どんどんゆずの想い出の地がなくなっていって残念です
「ええ、ほんとに」

その隣のCD屋へ。店の外に新曲「慈愛への旅路」絶賛発売中のPOPがある。
穏やかでどちらかというと気弱そうな店員がレジに立っていた。
-富貴、閉まっちゃいました。残念ですね
「そうですねぇ。僕が気付いたのが翌日の21日です」
-ここにはゆず来てたんですか?
「うーん、来てたかもしれないです」
-店員さんは富貴には行ったことあります?
「店長がよく行ってたっていうのは聞いたことあります」


2階も同じような居酒屋だった。「弁慶」という。
開店前、レジチェックをしていた店長らしきおじさん。
「もう、ゆずもダメだね(いや、ゆずはダメじゃないよ!と言いたかった)
 頑張りきれなかった。ゆずが働いてた頃は結構お客さんも入ってたんだけどね。
 うちも、ここの他にも前は5店舗、店出してやってたけど全部辞めて、今はここだけ。
 どこもダメでしょ今、居酒屋は。
 裏も辞めちゃったし。隣も全滅だし」


去ろうと踵を返すと、
「また来てくださぁ~い」とセールストークは忘れないおじさんであった。

その日のオススメは「豆腐ステーキ」と「マグロのユッケ」「スズキの刺身」だという。
悔しいけど美味しそうだった。でもここには申し訳ないけど二度と来ない。
店を選ぶセンス、見る目がない人が多いと自分に言い聞かせて横浜をあとにした。

解体工事で木材や金属を切る音が地下からずっと響いていた。
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by misejimai | 2010-09-04 13:14
2010年 09月 03日

率先

今さらと思う御仁もおられるかもしれないが
2月22日、池袋の手芸用品店キンカ堂が閉店。
全国にあるキンカ堂の創業の地である。
3月、店のシャッターに数百枚の貼り紙が張ってあると聞き、やってきた。
auの店の前でアナウンスしているマイクがうるさい。
そこには、おびただしい数の貼り紙が、裁判所からの破産告示書という大魚を取り囲むスイミー
のように張られていた。

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店主からの閉店貼り紙の余白に
書き込むケースは今までも
あったが、
自らシャッターに紙を張る光景は
前例がない。
行く人は足を止め、見入っている。






1枚1枚には、今までキンカ堂を使ってきてことに対する感謝の念が綴られていた。
その場で書いたようなノートの切れ端もあれば、表彰状にわざわざしたり、お年寄りと見られる
達筆の感謝状もあった。


池袋という都会の中で、名もなき人の手書きの文字がこんなに見られるのはなかなか無い。
「人が生きている」というか、「人の想い」が感じられる皮肉にもオアシスだったのかもしれない。


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誰か声が聞きたくて地下1階の100円ショップ「キャンドウ」へ。
何か買ってレジ打ちしているとき、
もしくは商品を受け渡す前後に話題を切り出すのが常套手段である。
そのときはキティちゃんのボールペンを買った。
「上のキンカつぶれちゃいましたね」
「ええ」
「ここは大丈夫ですか?」
「えへへまあ、何かない限りは」








裏手に警備員室があった。
50過ぎの警備員さんがいた。
「つぶれちゃったのにまだ警備員室はあるんですか?」
「うん中が片付いてないから財務整理」
「おじさんはどのくらい前から?」
「そうだねぇ15年くらいかな」
「このあとはどちらに行くんですか?」
「まあ警備会社からの派遣だからまだ分からないけど」
「じゃあ、そんなキンカ堂には思い入れとかない?」
「いやあそんなことないよ」
「最後の日は何かしたんですか?」
「いや、なにもしてない。というか店長以下閉店を知らされたのは当日だからねぇ」



来訪から1カ月後にはすでに貼り紙は誰かの手によって全て剥がされ、
その後、期間限定の衣料品店がお目見えした。「キンカ堂」の文字は青いテープで隠れているが、
日の光ではまだ見える。
e0030939_18562537.jpgその店も9月5日をもって閉店する。
だが特に悲壮感はなく、「閉店セール」という貼り紙さえ滑稽に見えてしまう。

auの大音量マイクは聞こえなかったが、
夏の最後に張り上げるセミの声がかまびすしい。














ちなみに。
最初に紹介した200枚の貼り紙の中には、
店のテナントに入り、仕事を請け負っていた人が、閉店後もお客さんからの仕立ての注文を
個別に受けるため、連絡先を書いてあるものもあった。
その連絡先にかけてみると、80歳のおばあさんが出た。
「私たちに何も言ってくれず、突然閉まっちゃった。でも想い出がありすぎてお話できないんです。
 だって兄弟3人ともお世話になっていたんです。
 ええ、みんなお店で仕事をもらってて。
 最近は夏の暑さで体調崩してて。ようやく動けるようになって。
 いま、就職先探してるんですよ。はい。つぶれちゃったから。
 でも80歳だとハローワーク門前払いだわね」

そして。
「何もない限りは」といったキャンドウも先月くらいに閉店したらしい。
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by misejimai | 2010-09-03 19:31