店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

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2009年 10月 08日

街が蹂躙されていく、その邪

1人の男が、8月の羽田を迷っていた。
朝7時過ぎ。
ステアリングを握る両手の平にかすかに光る汗は、焦りを物語っている。
同じ周回道路を何回も回り、空港駐車場に一向に到着しない理由は至極簡単、方向音痴だからだ。
回った回数、実に7回。
宙空に浮かぶ飛行機雲の下で、肩をいからせて、意味もなくぐるぐる回っている。

そんな自分への憤りも、ターミナルでほほ笑むWさんの優しくたたえられた瞳の前に消えていた。


e0030939_20272362.jpg台東区根岸にあった老舗の蒲鉾屋さん「和泉屋」。
そろそろ恋しくなる「おでん種」を1つひとつ手作りで仕込んでいた
おじいちゃん。
鮫の皮で作る「煮こごり」は遠くから、車に乗って買い付けに来る
お客さんもいたという。
だがそんなベテランも年寄る波には勝てず、
2006年、自ら店の幕引きを選ぶ。
そして翌07年、残念なことに他界してしまう。

そんなおじいちゃんの練り物や煮こごりの味を知っているお孫さんが
Wさんだった。
よく遊びに行ってはおじいちゃんから美味しい切れ端を
口に入れてもらって食べていたという。
おじいちゃんの背中に追いつくことはなかったが、
商人の血を譲り受けたのだろう、
今は鹿児島で、奥様のお父様が経営する
コンビニの店長を務めている。

Wさんと知己を得る機会に恵まれて2年。
会うのは今年の1月以来だ。
今日はWさんが、所用で降り立っていた東京から鹿児島の
自宅へ帰る日である。

これで都合3度目となる直接対面だから、
緊張すると口ごもってしまう「お久しぶりです」もすんなりと言えた。






搭乗手続きまでの45分間、2人はたわいもない話に華を咲かせた。

代官山のラ・カシータというメキシコ料理屋さんの店主がWさんの作るメキシコ料理の師匠であるということ。

今回の帰省は、東京に在住していた頃、昔の仕事を通じて知り合った作曲家の方と食事をするためでもあったこと・・・など。

そしてこのとき、1つ報告があった。
和泉屋、存続決定である。
と言っても建物だけだけど。
もともと建物の取り壊しが決まっていたのだが・・・


「実はあの店は取り壊されずに、後ろにあったマンションのオーナーが相当のお金で買い取ってくれて、
 そのまま残されることになったんです。
 ただ、外観は黒くなってしまって、中はなにか事務所になってしまいましたが」

Wさんは撮ってきたデジカメの写真を見せてくれながら、
「店の面影はなくなってしまった。でも今でもありありと思いだせます。ここが勝手口でここで練りものを練ってここが・・・」と、懐かしそうに場所を教えてくれた。

大好きだったおじいちゃんの店の変わりよう。
もちろんこの先この場所がどうなるか分からない。
そんな悲しい時代の前触れに立ちつつも、常に明るさと強さを忘れないWさん。
閉店を取材している立場なのに、笑顔をもらった。

e0030939_20115057.jpg再会を期して別れたのち、僕は今聞いた新しい和泉屋を見に行った。
店の扉は目にも鮮やかな朱色で、根岸の空気を柔らかく、温かいものにしていた
名景の1つだったが、黒く塗られたその店は何とか輪郭だけは
昔のままだったが、明らかに違って見えた。

























e0030939_20134697.jpgある批評家が
「老舗がなくなっていくことは善悪の問題ではなく、想い出の問題。適応していくしかない」と
言っていたようだが、そんなやわな問題ではない。

文化がなくなっていくのである。
東京に固有の文化があるかと言えば、他府県に比べて「おらが街」という際立った点は見出しにくいかもしれない。
しかし、その中でも微妙な(今よく言われる「ビミョー」ではない)特徴がある
はずである。


押上に何やらノッポタワーが出来るらしいが、大きくて高い発想はもういい。
逆に狭くて小さくても豊かな文化こそ日本の心だと思う。
そういう文化が次の世代のメンタリティを育む。


幼稚園で「お店屋さんごっこ」をやっても、
魚屋や果物屋を知らない園児がいると聞いた。
コンビニごっこじゃ味気ない。




幼い頃「願い事は星にしなさい。タダだから」と母に言われた。
だが今の日本には、たくさん願い事がありすぎて星もパンクしてしまうだろう。
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by misejimai | 2009-10-08 20:36 | 蒲鉾屋さん