店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

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2007年 06月 16日

電車でチラ見した本の一行

金曜の夜、混雑する東西線各駅停車西船橋行き。僕は3人がけの椅子、車両の連結部分に一番近いところに座っている。その右隣の女性、40代後半。ベージュの長袖シャツ。何かキャラクターもののバッグを膝の上に乗せている。左手に文庫本。その出だしの一行が見えた。『そういえば冬弧堂さん、あんたは〈ツルさん〉と仲が良かったはずだ。』
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by misejimai | 2007-06-16 00:09
2007年 06月 13日

遺失物

今日は「だって!」
蒲田駅の改札前にある取得定期券の掲示板。

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だって!
取りに来てね!
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by misejimai | 2007-06-13 02:07 | だって!
2007年 06月 12日

羽田のコーラと蒲鉾ばなし

冷たいボトルコークに喉を潤しながら、男たちが「かまぼこ」について話し合っている。
2人がいるのはオールディーズが流れるお洒落なカフェだ。

今年の2月6日、以前は去年の7月28日の日記で紹介した蒲鉾屋さん、「和泉屋」。
その3代目のおじいさんの孫に当たるW氏が、千葉にある実家の私用で先日からこちらに滞在。
そして今日、鹿児島のご自宅に帰られるというので、羽田空港のターミナルで会う約束をしていたのだ。
せっかくの機会である。

そしてふらりと入ったお店がコカコーラ・プロデュース。トレードマークの赤を基調とした、アメリカンフレーバー満載のカフェだったというわけ。

美味しそうにコーラを飲み干すW氏は僕より小柄で(僕は167cm)、
こげ茶色の眼鏡の奥の瞳は、こう言っては何だが少年のように輝いていて(年上なのにすみません)、笑うと目が線に
なる、笑顔が似合う人である。

ただその笑みが真顔になったのは、挨拶~名刺交換を済ませ、鹿児島の奥さんの実家で
コンビニの店長をしているといった近況を終えたあとのこと。

件の「和泉屋」の話である。
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「やっぱり取り壊されちゃうんですか、あそこは」
僕が聞くと、W氏は頷き、
「あそこはもともと借家だったんです。誰も居ない家は法律上、借地権の存続は認められない
 んです」
自ら言い聞かせるように云った。

「ところで、中はどうなってるんですか?」
「練り物を練る機械とかほとんど片付けてあります。あっ、でも--」
「はあ」
「いろいろな表彰状とか残っていましたね。あと柱時計とか」
僕は思わず体を乗り出した。
「へぇぇ、その中とか是非見てみたいですねぇ、いや外部の、しかも見ず知らずの人間に
 簡単に見せられるものじゃないでしょうけど」
「そうですねぇ、取り壊す直前になったら中に入ることもあるとは思いますので聞いては
 おきます」
「ありがとうございます。是非お願いします。まあできたらで結構ですんで。でも今まで見てきた お店の中でも、あれは
 本当に思い出深くてですね・・・」
外観の、朱色と黒壁の鮮やかな色彩がいかに印象的だったかを僕がしばし説くと、
W氏は僕の視線を受け止め、こんなことを明かしてくれた。
「実は少し前、今度『三丁目の夕日』の続編が撮られるというので、その映画の製作会社に、
 お店を売り込んだんです」
「え?」
「FAXで、お店の写真を添えて、もし良ければここで撮影してもらいたいということを書いて
 送ったんです。でも全く何のリアクションもなかったですね、無視でしたね」
「残念ですねぇ。僕にそういう力があれば・・・」

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W氏は小さな体躯で身振り手振りを交えながら、祖父とのことを話し始めた。
「僕と祖父との関係は、いわゆる普通の孫とおじいちゃんにありがちな像ではなかったですね。
 幼い頃はよく店にも行きましたが、特に何かを買ってもらうとか、僕のほうから、ねだる
 とかいったこともなかったですし。背中だけを見ていたというか。結婚式とか親族の寄り集まり
 でも、向こうは寡黙な人ですから、無邪気にしゃべった記憶もないですし」
 
僕はしんと聞き入る。

「鹿児島に行く前、僕は京都で3年ほど仕事をしていたんです。そのとき、おじいちゃん、
 おでんダネをクール宅急便でよく送ってくれましたね。
 すでに90歳は過ぎてたんですが、朝4時起きで毎日店を開け、
 築地には週に2、3回は自分で仕入れに行っていました」

奥さんを早くに亡くし、1人根岸の広い家で蒲鉾のために生きてきた人生。ただ、時には孤独で腐ることもあっただろう。
後継者がおらず、そして自分としても職人としてのプライドが、誰かが後を簡単に継ぐことを
良しとしなかったのだろう。

店のカウンターの壁に架けられているコカコーラの木目調の時計が、
いよいよ搭乗手続きの時を待っていた。

だが、W氏の声がさらに熱を帯びたのはそれからだった。
父親が商社マンだったこともあって、幼い頃メキシコに住んでいたこと、
そのため、舌がメキシコの味を覚えており、実はそれで飲食業を始めたいと思っている
ことなどを白い歯を見せながら語ってくれた。

「その事業の夢、かなうといいですねぇ。青写真ではいつごろ-」
「10年先ですね。妻に言ってあるんです。10年経ったら、好きなことさせてくれ
 って。今は妻の実家に入ったマスオさん、そしてコンビニの店長だけど、その後は俺の自由に させてくれって」
いつしか、“僕”が“俺”に変わっていた。

「その商売を成功させる自信もあるし、予見もしてるんです。
 最後は、妻の後押しだけですね」

先ほど携帯の写真で拝見させていただいた、亡きおじいさんの顔と目の前のW氏がだぶった。
この人は根っからの商人、しかも、おじいさんの血をしかと受け継いだ人だ-。

-Wさん、おじいちゃんという強力な後押しがいるじゃないですか。
僕は心の中で、力強く励ました。

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最後に、W氏は「これ」と言って紙袋を渡してくれた。
鹿児島名産のいも焼酎だった。
「何も僕は持ってきてないのに、いいんですか?」
「貴方とお話をするのがお土産みたいなものですから」
「ありがとうございます」

自然と手が伸び、握手を交わしていた。


夕闇に包まれた空港から飛び立つ希望の両翼。
いつの間にか晴れ上がった雲間に吸い込まれる、一筋の光に
別れの目礼をし、僕はその場を去った。

そして今、もう朝だというのに、W氏からもらった焼酎でずっと一杯やっている。
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by misejimai | 2007-06-12 03:32 | 蒲鉾屋さん
2007年 06月 11日

コムスンの電話の保留中の音楽

今日の保留音はコムスン。

保留中の音楽を聴かせてもらおうと思い、電話した。
ちょっといつもより長めの間があって、出たのは1人のおじさん。コールセンターだから周りも
賑やかなのかとも思ったが、どうやら周りにはおじさん1人しかいないようだ。電話の向こうには静けさが漂っている。

何だかビクビクしているおじさんに今回の用件を伝えると、なんだそんなことかといった具合にホッとした息遣いで

「音楽は手動で切り替わるものではなく、電話が込み合った時に自動で音楽になるんですよ。
 CMの音楽と一緒です」
「CMのときのBGMってどんなんでしたったけ?ちょっと歌ってもらえます?」
「いや・・・」
「あっ、でも、CMはもう流れないんですよね・・・?」
「そう、そう・・・ですかね・・・詳しいことは分かりません」

結局何かはBGMとして流れていたことだけは分かった。


ちなみに、語呂合わせも併記。
0120-86-5630
     ハロー コムスン

今ならさしずめ、
 81
バ~イ コムスン
だろう

もしくは
347   5630
さよなら  コムスン
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by misejimai | 2007-06-11 12:34 | 今日の保留音
2007年 06月 10日

勇退

今日の店じまいは、5月31日、新橋にあるラーメン勇(いさむ)。
12年の歴史に、幕。

都内を中心に広がるラーメンの一大勢力「元祖一条流がんこ」。
かつてその総本家(高田馬場、現在は池袋)で修行したご主人が開いたお店だ。
8年前、「がんこ」の暖簾を外して営んでいる。


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全く仕事でついていなかった日
どうしてもまっすぐ家に帰りたくなくて
当てもなく街をぶらついていた

裏通りの目立たないところで
頑張っていたこの店に惹かれたのはきっと、
自然な流れだったのかもしれない

でも
店主の親父は誰彼かまわず
しゃべりかけてくる
かと思ったら客に背を向けて
無言のまま
なんなんだこのテンション

ホッペのホクロから白髪の毛が
伸びている

中国人の若い女性の店員かバイトにはやけに愛想がいい

しかも
何だか分からないが、元「がんこ」の名がすたると勝手に思っていた

注文し
やってきたのは
琥珀色の透明感あふれるスープに
黄色の強い縮れ麺
コクがあり、すっきりしていた


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5.31最後の一杯



「常連客らしい男性に、
 うちの卵はどこで取れるか知ってる?
 二子玉(二個玉)と君津(黄身ツー)」 だよ

店主のダジャレも食べ終えた後は
清々しく聞くことが出来た

それから度々来店
ムラがあったりキレが無かったりした時もあった
上品な味になりすぎたときもあった
でも、そんな味も、もう幕引きである



「12年で20年働いた」という言葉の裏には
それだけラーメンに正直に向き合ってきた苦労が伺える

土日は休みだけど、仕込みでほとんど休みはつぶれる。
普段もスープの仕込みで1日4時間も寝られない。
化学調味料は一切使わないため、材料は通常よりも5倍使っている。
チャーシューも4日がかりで作る。
青森の養鶏場で見つけた特大味玉。
原価は190円、それを200円で売るから赤字が続いていた。

閉店の理由は「体調不良」とのこと。
足がしびれるのだそうだ。
何度もぶっ倒れたという。ラーメン屋の名物店主はどうしてこうも足に来るのだろうか。
しばらく休養するという。復帰は果たしてあるのか。
多分、以前ほど客が入っていなかった。雑誌に掲載された直後は混んでいるが。

今月5日、チャーシューの煮汁をお裾分けするタイミングがあったが、行けなかった。



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あのホクロの毛が再び見られるのはいつの日か
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by misejimai | 2007-06-10 18:07 | ラーメン屋