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2007年 02月 27日

閉店博物館

自室に入りきらないので、和室にあふれ出した色々なモノ。
「ご自由にお持ち下さい」という紙にしたがって貰って帰った様々な遺品に、
NHK「熱中時間」に出たときの貼り紙拡大パネル。

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夢のように
はかなげで
でもその夢は醒めてから見るから鮮明で

苦渋のまま時が止まり
沈黙のまま時が進む

ここは閉店の共同墓地

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by misejimai | 2007-02-27 02:10
2007年 02月 22日

ニコラス・ケイジの日本語

今日の外タレの日本語は、ニコラス・ケイジ。
映画「ゴーストライダー」の来日記者会見で。
「オハヨウゴザイマス トウキョウ アリガトウ」
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by misejimai | 2007-02-22 08:47 | 外タレの日本語
2007年 02月 19日

・・・?→?→牛丼屋→ステーキ屋→?→?・・・

情報をいただいたので、店の跡地に行ってみた。
下の写真。
一昨年夏、東五反田。
松屋の隣のテナントは以前は吉野家だった。

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そして現在は、
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ステーキ屋のペッパーランチ
1年前の2月17日にオープンした
カウンターはもちろん、キッチンシステムも残っており、
次の店にいきなり違う業種は入らない
設備投資がその分省けるからだ
飲食店の次は飲食店
順調に売り上げも伸ばしているという
次は何になるのかと変な思いを巡らせてしまう自分がいて怖い




帰り道、
老いて、しわくちゃな、風にさらされるだけの建物の群れを撮っていると、
1人の老人が近づいてきた
「何か載せるの?」
「いえ趣味で」

おじいさんはビルの地主だという
視点を定めず、どこを見ているのか分からないのに、
僕が視線を外すと、凝視する

ビルには小さいスナックやキャバレーが蟻の巣のように入居していた

いつもの名刺を渡すと、
延々と五反田の盛衰を語ってくれた
向こうに見える建設中のマンションは以前コンビニで、その前が喫茶店、その前が八百屋・・・
ここの焼肉屋は以前キャバレー、その前が薬屋・・・

生き字引の昔話とともに20分の時空の旅

今そこにある店も、何十年、何百年前は別のお店だった
感傷に浸るより、人類が営々と営みを続けているように壮大な歴史がそこにあると思うと、
何か夢とロマンに近い気持ちが沸いてくる
半径3mのヒューマンミステリー

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by misejimai | 2007-02-19 16:41 | 店の跡地には
2007年 02月 17日

303-303(サメさん・サメさん)

今日の語呂合わせは、健康食品会社・エバーライフの鮫肝海王(サメギモポセイドン)。

エバーライフと言えば、飲むヒアルロン酸・皇潤(こうじゅん)が有名だが、
この「鮫肝~」はエバーライフ最初の取り扱い商品である。
深海鮫の肝に含まれるという天然有効成分スクワレンをカプセルにして98年に発売。
この肝には他にもビタミンAにビタミンE、EPA・DHAなど、健康成分が多く含まれている
ことから評判が広まり、大ヒットした。

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489-489(シャーク・シャーク)もいいかも
しれないが、
サメの怖いイメージを増幅させるだけである。
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by misejimai | 2007-02-17 01:17 | 語呂合わせ
2007年 02月 12日

759-417(南国良いな)

電話番号の語呂合わせは面白いのでとりあえず集めてみる。

e0030939_21493333.jpgバリ島旅行気分を味わえるリゾートホテル
「バリアン」。
新宿や錦糸町にあり、最近横浜にもできたそうだ。
せっかくなので電話してみた。

僕 「そちら、南国良いな、でおなじみの
   “バリアン”ですか?」
受付「そう、ですけど・・・」

受付嬢が引いてるぞ。
いきなりはまずかったかもしれない。
何とか話が続けばと、いろいろ聞いてみる。

僕 「そこはバリのスパだけじゃなくマッサージ
   とかもあるわけですか?」
受付「あります」
僕 「ふむふむ。他にはどんなところがバリ気分
   なんですか?」
受付「天蓋付きベッドはバリ島直輸入です」
僕 「あ、そこラブホテルですか?」
受付「ホームページをご覧いただいても宜しいかと
    思います」
僕「そうですか、分かりました」

結局ホームページを見ることを薦められた。
今度は気持ちの良い電話の仕方をしようと思う。
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by misejimai | 2007-02-12 22:08 | 語呂合わせ
2007年 02月 12日

秋葉原は電気メイドの夢を見るか?

e0030939_271792.jpg今日の店じまいは今更ながら、秋葉原駅前にあったアキハバラデパート。
55年続いたが、建物の老朽化と売り上げの落ち込みで閉店。
去年の12月31日に閉めた。

店頭での実演販売はデパートの名物。
全国の実演販売人にとって「腕試しの場」となっていった。
穴あき包丁やスライサーなどを操るおなじみの実演販売人の顔も
よく見かけた。











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最近、久しぶりに映画「ブレードランナー」を見た。
原作の小説のタイトルは、
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」である。

映画の世界である奇怪な高層ビルの巨大都市は完璧なまでに機械で
制御されている。
人が誰しも一度は近未来像の中に描いたエアカーが飛び回っている。
一見甘美なユートピアだ。
しかし空には、得体の知れないスモッグが覆い、止むことのない酸性雨が降りしきる。

そんな都市に住むのは、人間と寸分違わぬ外見を持つレプリカントたち、つまりは
それぞれ「ご主人様」のために働き、奉仕するアンドロイドであった。




映画が作られたのは82年。
それから25年が経ち、
秋葉原には、ご主人様のために奉仕するメイドが大活躍している。
恐ろしいほど単調な言葉を、レプリカントばりにマニュアル通りに繰り返すカノジョたち。
ツンデレ系もその分派である。
その単調さと、人間が機械に変容し、自分の思い通りになる快感を求めて、今日も多くの
擬似カレシが足を運ぶ。

そこには、お客さんに合わせて丁々発止、テンポの良い名調子と掛け声で商品を売り込む人間はいない。

アキハバラデパートが閉店したのに伴い、次の実演場所が見つからないために引退を余儀なくされた販売者もいた。

この街にメイドが増え、それとは反対に人間・実演販売人が消えたのは、
秋葉原が立派な「ブレードランナー」の都市に変わったことを決定づける歴史的な事件
ではないだろうか。象徴ではなかったか。


12月31日最後の日、周りを取り囲む人たちに実演販売人たちは
「お世話になりました。良いお年を」と声をかけ、常連客と3本締めをしたそうだ。
いくらロボットが精巧だからといって、3本締めの小気味よさは人間にはかなうまい。

と言いつつ我々も、携帯電話という第二の感覚器官を持ち、
驚異的な医療技術で失われた四肢を補うことができ、
検索ポタン1つで圧倒的な情報量を自分のものにすることが出来るという点で、
確実に、今までの「ヒト」を越えた、「新生命体」に近づいているのだが。


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日がな、ここで掃除をしているおじさん。
「次は何になるんだろうね~」

ビルの今後に関する正式発表はこの春出されるもよう。
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by misejimai | 2007-02-12 02:24 | デパート
2007年 02月 06日

遺伝子

こんなメールが1カ月前届いた。
実名は伏せてある。
本当ならば、きちんと公表したほうがいいというか、そうじゃないとうまく伝わらないとは
思いますが、そこはご容赦下さい。

******************************
貴殿ブログに2006年 07月 28日の回で取りあげて頂き、また、先日
NHKさんでの放映の絡みでお問い合わせを頂きました、蒲鉾屋『和泉屋』
のN・Sの孫のW・Kと申します。

先日は、せっかくのお話でしたのに、番組の方にお役に立てずに
申し訳ありませんでした。

本日(1月7日)、和泉屋店主、Nは千葉の病院にて
永眠致しました。永遠の「店じまい」となってしまいました。

返す返すも、彼の意志を継げなかった、あの伝統の味を
継ぐことが出来なかった、無念さにかわりはありません。

取りあげて下さってありがとうございました。

W・K




根岸にある蒲鉾屋さんである。
僕は去年の7月、偶然この店を見つけ、写真をアップした。
そのお孫さんがコンビニの店長をしていることも、
ブログをやっていることも書いた(7月28日参照のこと)

そして去年の年末である、NHKの番組に出させていただいたとき、
蒲鉾屋さんを紹介しようと許可をいただくべく頑張ったのだが、
やはりおじい様ら周辺の都合で結局取材はできなかった。
上のメールに僕はこう返した。



W様

お返事大変遅れてすみませんでした。misejimaiことU・Tと申します。
ここのところ、ほとんどこちらのメールに何も来ないものですから
放っておいてしまいました。申し訳ございません。

そうですか・・・。
ご愁傷様です。心中お察しいたします。
僕はもちろん会ったことのない方でしたが、
おじい様のことは隣の提灯屋さんに話を聞いたりしていたものですから、
残念でなりません。

番組の取材の件はこちらこそご迷惑おかけいたしました。
今まで見たお店の中で、特に印象に残る外観-朱色の鮮やかな-
だったものですから・・・
でも、こんな私にお知らせして頂いて本当にありがとうございます。

W様、味は継げなくても、その商売への想いをしっかりと
受け継いでいるではありませんか。
店を畳んだのは誰のせいでもありません。

もし宜しければ、このメールのやり取りをブログに載せても構わないでしょうか?
こんなことを最後までお願いするなんて大変に失礼だと思います。
ただ、おじい様が生きていた証が永遠に残るものだと思っています。
宜しくお願いいたします。




すると後日、こう返ってきた。

U・T様

 暖かいメールのご返信、ありがとうございました。
 鹿児島から、蒲鉾屋「和泉屋」の孫のWです。 

 >僕はもちろん会ったことのない方でしたが、
 >おじい様のことは隣の提灯屋さんに話を聞いたりしていたものですから、
 >残念でなりません。

 僕ら、孫の世代はあまり、ご近所さんとは
 お付き合いは無いのですが、うちの母などは
 「提灯屋さんの誰々ちゃん・・・」と、会話の
 端々で、名前を聞いたりしたことがあります。
 確か、息子さんが継がれたんですよね^^。

 >今まで見たお店の中で、特に印象に残る外観-朱色の鮮やかな-
 >だったものですから・・・
 >でも、こんな私にお知らせして頂いて本当にありがとうございます。
 
 そうですね、あの朱色に塗ったのは、実は、そんな昔の
 話ではなく、ここ10~15年の間だったと思います。
 扉の朱を塗ったときに看板も、塗り直したはずです。

 僕は、あの建物の柱の油の染み込んだ、黒い色が
 本当に好きで・・・。

 残念ながら、あの建物、取り壊す方向に、親族会議で
 決まってしまったようです。返す返すも残念です。
 この前、葬式の翌日、店を尋ねて、祖父の遺影に線香を
 あげたのと、思い出と記録のために、ビデオで録画して
 きました。

>W様、味は継げなくても、その商売への想いをしっかりと
>受け継いでいるではありませんか。
>店を畳んだのは誰のせいでもありません。

 そういって頂けると嬉しいです。

 でも、いつか、「再現してやろう!」って思ってます。
 僕の舌に記憶が残っているうちに。うちの母は、何度か
 本気で店を継いでも良いと思ったことがあったらしく、
 祖父に練り物の作り方を教わっているはずですので、
 母が生きているうちに、伝授してもらえば、可能かも
 しれません。

 時代が、本当にもう少し味方してくれていたら、
 「和泉屋」というブランドで、薩摩揚げや煮こごりを
 商品化して、楽天とかで通販したんですけどね^^。
 まあ、そういった、商売をしなかったのは、祖父の
 対「お客さん」という商売の基本があったからなので
 しょうけれど。「紀文」とか「つくごん」とかのように
 大きくはしなかったのが、祖父の誇りなのかもしれません。

 ちなみに、「紀文」は違いますが、「つくごん」という
 メーカーが商品を開発する段階で、うちの祖父が
 商品の出来上がりまでをアドバイス(もう、きっと
 何十年も前の話でしょうけれど)していたそうで、
 お葬式の時も「つくごん」の社長名で花輪が届いて
 いました。そっくりそのまま、ではないかもしれませんが
 祖父の職人としての「遺伝子」が「つくごん」の練り物
 に実は、影ながら引き継がれているんです。

>こんなことを最後までお願いするなんて大変に失礼だと思います。
>ただ、おじい様が生きていた証が永遠に残るものだと思っています。
>宜しくお願いいたします。

 それは、願ったり叶ったりです。Uさんがあのブログを
 続けて頂ける間は、祖父の居場所があるようで、嬉しいです。
 どうぞ、よろしくお願い致します。

 それと、もし、Uさんがよろしければ、
 私とのやりとり(メールの交換など)、続けて頂けませんか?
 なんか、色々、話をさせて頂きたいなあと思ったのと、
 こんな、面白い出会いから、もしかしたら友情が産まれるのかも
 しれないと思って、今、少々、ワクワクしております。

 いつか、私が上京したときにでも、お会い頂ければ
 とも、思います。もちろん、Uさんが、鹿児島に
 お越し頂く機会があれば、それはそれで、大歓迎です。
 それと、以下の文章を、祖父が亡くなったときに、
 mixiというSNSの日記に書きました。差し支えなければ
 抜粋してお使い頂いても構いません。

 (以下、mixi日記より)

【2007年01月07日】また一人、自分のルーツが・・・。

僕の母方の祖父が一時間ほど前に亡くなった。明治44年生まれ、今年年男で95歳
の一生だった。

祖父は、東京の台東区根岸というところで、三代100年続いた『和泉屋』という
蒲鉾屋(おでん種屋)を営んでいた。祖母が僕が20歳の時に亡くなっているか
ら、祖母が亡くなってから、ちょうど、20年、たった一人で、あの店を守って
きた。場所柄、多くの芸人さんに愛された、林家三平師匠の時代から、奥様の
海老名香葉子さん、林家正蔵(林家こぶ平)さん等も、お得意さんだったそうだ。
鮫の皮で作る『煮こごり』は遠くから、車に乗って買い付けに来るお客さんも
居るほど、飲み屋さん辺りでは高級珍味として、重宝がられていたそうである。
あの煮こごりを祖父が丁寧に包丁で切っていて、切りくずが出ると、「ほら、
食べるかい?」と僕らの口に放り込んでくれた。あの味を忘れることはないだろう。


僕の中には、この祖父の血が流れている。商売人というよりも、やはり「職人」
「玄人」の『血』だ。

残念ながら、蒲鉾屋を継ぐ者が出なかったけれど、そのスピリットは、
間違いなく、僕の中にある。

亡くなったとき、僕の所に、寄ったりはしなかったみたいで、もう、未練も
なく、天国へ召されたのだと思う。

安らかに、おやすみ下さい。


合掌。


去年、あるブログで祖父の店の閉店を取りあげて下さった。

店じまいブログ
http://misebiraki.exblog.jp/i103
 


【2007年01月14日】ゆったりとした週末

今朝は、祖父にお線香をあげようと、空港に行く途中、祖父の家に寄った。取り
壊す事が決まっている百年立つ祖父が守ってきた蒲鉾屋『和泉屋』をビデオカメ
ラに収めるのも目的だった。四十九日まで、おじが祖父のこの家で一緒に居てく
れるそうで、少し、安心した。

祖父が揚げ物などを作っていた作業台や練り物をこねる機械はすでに取り払わ
れ、がらんとしていた。

明治、大正、昭和、平成と四つの時代を生き抜いた祖父。遺影の祖父は「あとは
頼んだぞ」と微笑みを浮かべていた。

 (以上、mixi日記より)



 それでは、長くなりましたが、
 また、やり取り出来る日が来ることを
 楽しみにしております。




というわけである。mixiのは、抜粋するのが正直もったいないほどいい文章だったので、
丸々使わせていただきました。ご容赦下さいませ。
これを読んだとき、僕は思わずちょっと涙が出た。
顔も知らない相手にここまで共感すること自体、僕はあまりなかった。

新富町の製薬会社→コンビニ→取り壊し→アーチ部分は別マンションへ移築の例もそうだが、
遺伝子はどこかできっと残るのだと思った。
最初は単なる好奇心も加わってやり始めた趣味だが、
正直こんなに深いとは思わなかった。
これは末代まで辞められないブログだと思った。
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by misejimai | 2007-02-06 05:06 | 蒲鉾屋さん
2007年 02月 05日

電車でチラ見した本の一行

錦糸町夜7時53分発千葉行きの総武線、後ろから4両目、三人席。左隣。30代半ばの女性。黒のコート、茶色のバッグ。普通の文庫本より少し大きめ。彼女が読んでいる一行。『その中程には、松蔵が住んでいた長屋の住民を代表して』…山本周五郎?
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by misejimai | 2007-02-05 19:59