店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

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2006年 05月 31日

歯医者

e0030939_2153270.jpg今日の閉店貼り紙は、港区赤坂・
上原歯科。今日が最後。
78歳のおじいちゃん院長が書いた、
可愛らしい文字。











e0030939_2182194.jpgできれば歯医者には行きたくないものだ
ただ閉まるとなると寂しくなるのが人の常
だからといって用もないのに歯医者に駆け込むことはできない
ムシバ菌も、そんなに都合よくは暴れてはくれないの

でも
ヨイショに屁理屈、おべんちゃら、
おべっか、お世辞、ご機嫌取りで
生きる僕らの口は実に汚い
だから、世俗にまみれた歯垢を取ってほしいです


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by misejimai | 2006-05-31 21:23 | 医院・病院
2006年 05月 30日

お前はすでにフランス人だ

e0030939_19515521.jpg今日の閉店貼り紙は
千代田区永田町、ビストロ・パラザ。
シェフはもちろん、フランス料理界の重鎮、酒井一之。
だがこれは一時閉店だそうだ。
とりあえずフランスでヴァカンスを過ごし、
帰国後別の場所で再び料理店を構えるという。













e0030939_19505743.jpg学生運動華やかりし45年前、法政大学
二部の学生だった酒井は、バリケードの
マドンナ、K子と付き合っていた

一年先輩のK子
演劇研究会に所属し、文字通り女優並みの美貌の持ち主
理論武装も酒井より遥かにしっかりとしていた

一方、酒井はと言えば、二部ではあったが、特別仕事にも就かず、
毎日風呂に入り、いつもこざっぱりとした
格好でデモに行く、お坊ちゃん活動家だった


生活基盤のなかった彼は、仕事を見つけなければと思っていた
だがこれといって当てはなく、あるとすれば伯父のつてで、学校の教師ぐらいだった

いずれにせよ、働くことを考え始めて、次第に酒井の心が徐々に革命から遠ざかろうとしていた矢先、
彼はK子に別れを告げられる

どうやら、理論家として知られるバリバリの活動家Fと一緒になり、
さらに激しい活動にまい進しようとしていたようだ

別れ際K子は
「私は革命に死ぬ」
「私は鉄条網に引っかかって死ぬの!」
と言い残し、酒井から離れていった

…初めての恋、初めての失恋
その痛手を彼はフランス文学に求める

レマルクの「凱旋門」に出てくるノルマンディー地方の蒸留酒、カルヴァドス
そこに象徴される強烈で魅惑的な異文化に酒井は惹かれた

さらに、本に出てくる料理に関心が向けられた

「コックになれば、あの異文化に行ける」


ラーメンライスを喉に流し込んでいた大学仲間からは軽蔑された
「お前、特権階級に迎合する気なのか?」


それでも酒井はフランス料理の世界に足を踏み入れた

皇居近くのパレスホテルで、1日14時間の皿洗い

世界を股に駆ける豪華客船のコックが話す、世界を見て回った自慢話を、
料理場の隅でじっと聞いていた

「つかみ」と呼ばれる腰にぶらさげた白い布は、
熱い鍋をつかみ、吹きこぼれたもの拭くなどして、どんどん汚れていった

汗まみれになって、96羽のローストチキンを焼いた


だが、疑問だらけのフランス料理に酒井は業を煮やした

大体が、当時、日本にフランス料理の知識を十分に持ち合わせている人がいるはずもない

しかし彼は本場のフランス料理を自分の目で、そして舌で確かめてみたかった


海を渡った酒井はデンマーク、そしてパリを巡りながら修行を重ねる

海外での料理人生活が10年を迎えたとき、
彼は、ヨーロッパ最大規模を誇るホテル・メリディアンのスー・シェフ(副料理長)に上り詰めた
そのホテルは、学生の頃読んだ「凱旋門」の近くだった

だが、それから5年経ったある日、
酒井は、日本で自分の思うように店を任せたいという話を持ちかけられ、
26年前、帰国

彼は渋谷のヴァンセーヌを経て、このビストロ・パラザを7年前に開店
そして昨日、一時店を閉めた

そしてフランスに旅立つのだ
ヴァカンスをするのだ



日本に帰ろうとした26年前、
メリディアンのグラン・シェフ(総料理長)は酒井にこう言った

「外国人でここまでやれる料理人はいないのだから、もう少しやれないかい?
 もうお前はすでにフランス人なんだ」

だが、帰国を留保するよう説得されたことこそ、酒井にとって、
フランス料理の腕を本場に認めてもらった瞬間でもあった

さて、フランスにはヴァカンス法がある
勤労者は年間で夏と冬に連続3週間以上、休暇を取らなくてはならないという法律だ
余暇を楽しむこととこそ、生きる歓びととらえる、フランスの国民的行事である

例に漏れず、フランス人・酒井もヴァカンスを十分に取りに行くのだ

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by misejimai | 2006-05-30 20:00
2006年 05月 29日

職人

e0030939_22133281.jpg今日の閉店貼り紙は、中央区月島の経師店、
大崎経師(きょうじ)店。

















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襖、障子、壁、衝立、額、屏風、天井

室内の張替え、修繕をする仕事・経師
たった2文字は職人ならではのいさぎよさ
みんなお手軽なインテリアに走る時代
職人不要の日本










※店自体は閉めたが、仕事によっては応じています。
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by misejimai | 2006-05-29 22:28 | 経師店
2006年 05月 27日

「今、どこで買っても困らないでしょう」

今日の閉店貼り紙は、熊本県にあるレコードショップ、マツモトレコード。
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下通り(しもとおり)と言われる、熊本の中核的な商店街の一角に佇む。
創業は昭和36年。45年の歴史を誇る、まさに街の顔だ。
もちろん、「熊本のレコード屋さん」と言えば、真っ先に「マツレコ」が出てくるほど有名だった。
また、アーティストたちにも名が知られていた。

25年前、父親の後を継いで2代目オーナーになった松本光一さんが、マツレコを
さらに変えた。

ライブホールを作り、メジャー・インディーズ問わずアーティストを呼んでのライブ。
「ユーミンとサザン、矢沢永吉以外はほとんど来た」(松本さん)
ステージには年間、60~70組のアーティストが出演。B’zにミスチル、
最近では平井堅やオレンジレンジなどもステージに立った。

さらに、PVや貴重な映像を上映するビデオコンサート。
サインやポスター、ステッカー、生写真などの特典。

そもそも立地場所が良かったとか、
当時はレコード店が絶対的に少なかったといったアドバンテージもあったが、
そうしたことにあぐらをかかず、専門店としての深い知識と、接客の良さで
客を増やしていった。
マツレコでレコード、CDを買う行為そのものが一時期の熊本の人々の共通認識であり、
通過儀礼だった。



以下はオーナー、光一さんとの話。

Q閉店の転機となったのは何ですか?
 タワレコの進出と、Windows 98の発売だね。CDが焼ける時代になった。

Q閉店に際し、同業者からは何と言われますか?
 もったいない、なんで続けないの?と言われます。
 でもみんな、閉店が正しいとは思っていない。間違ってはいないんだよ。

Q「間違っていない」というのはどうして?
  だって、どう考えても、個人のレコード屋に将来はないでしょ。悪い材料しかないんだから。
  (閉店を決めた)判断が早かっただけ。遅かれ早かれ、瀕死の重傷になる。
  その前に幕引きしようと。

Q今までマツレコを愛してくれたファンに一言
  お世話になりました。思っていた以上に店を愛してくれて、ありがとう。
  
Qこれから音楽を愛する人に一言
  今や音楽を会話の情報ツール、カラオケの練習のために聴くようになった。
  アーティストが好きだから、じゃなくて「音」でしか聴いていない。
  オレンジレンジの音楽聴いてる人だって、メンバーの名前知らないでしょう。

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閉店は大型店舗の
せいではない
みんなの音楽の楽しみ方が
変わっただけ
タワレコとて今や赤字
レコ屋の下火
ダウン・ロードの時代



※写真は友達の熊本在住のお知り合いに頼んで撮っていただきました。
 光一さんとのお話は了承の上、電話で僕がしました。
 あわせてお礼申し上げます。
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by misejimai | 2006-05-27 19:45 | レコード屋さん
2006年 05月 26日

錆だらけのビルに魚肉ソーセージとコンビーフを

e0030939_11146100.jpg今日の店じまいは、
新宿区代々木にある山田金物店。



















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緑色のテナントが山田金物店
このビルは廃墟ファンや、
ドラマのロケ地めぐりファンにはおなじみ、
「傷だらけの天使」で使われた、通称エンジェル・ビル

屋上が、修(萩原健一)と亨(水谷豊)の
事務所があったペントハウスだ











e0030939_11224824.jpg正式名称・代々木会館
今や再開発の対象として取り壊しが
取りざたされている 

そのために閉店した店も多い
だがその後、権利関係が複雑で
折り合いがつかず、
時の流れとともに朽ち果てていく姿をさらしている






屋上へ上がってみる
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修が勢いよく駆け下りて、
亨が「ハムレット」を颯爽と演じ、
腰掛けて気軽にギターを爪弾いていた階段は、






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今や強度が弱くなり、歩くだけで全体が揺れる
後ろに控えるNTTドコモのビルが圧迫する














e0030939_12325791.jpg部屋は腐敗・損傷が激しく、乱雑
かつての住人への献血のお礼の葉書
中沢新一の著
20年前のマンサンコミックス
虫が湧くソファ
踏みしめると抜けそうな床

2人がいた事務所はすでに
ゴミ屋敷と化していた






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でも修はあのとき確かに、
退廃的な空気と大いなる未来を抱いて走る
電車を見ていた










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今や未来を抱えて走る電車はなくなった

でも、修がタイトル
バックでゴーグルを
つけなからガツガツ食べていた
魚肉ソーセージとコンヒーフは、
中央線のオレンジと
うまく映える






2枚目の写真は向かい側のビルの8階にある不動産会社から撮影したものだ 
いい物件が揃ってます
ありがとうございます

意図を告げると、気のよさそうな若い社員は言った
「ああ、あの古いビルですか。何かあったんですか?」

今や「傷天」のロケ地であることを知っている人も少なくなったようだ

金物はさびる
聖地も風化する

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by misejimai | 2006-05-26 13:35 | 金物屋さん
2006年 05月 25日

妥協

今日の店じまいは、足立区千住、黒澤明塾。
ホームページより。
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塾長、そして学長まで退任に追い込んだ不祥事とは何だったのだろうか
ともかくトラブルを起こしたのは間違いない
妥協なき映画作りを信念としていた黒澤は、ゆえに
トラブルメーカーでもあった
しかし、その分だけ数々の名画を生み出した

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開校から1カ月で閉校
この塾は何を教えたのか
入校を応募してきた10人の志ある
人たちには、授業料を返還したそうだ
















塾には、格子越しに彼の写真パネルが置いてあった
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何を苦悩しているのか
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by misejimai | 2006-05-25 13:08 | 塾・教室
2006年 05月 23日

店の物置き化・餌場化

e0030939_3115520.jpg今日の店じまいは、江戸川西一之江にあるドラッグストア・フタバ薬局。
この店が閉まっても、別の店にこの薬はあるよという指示が書かれてある。


チェーン店
フランチャイズ
本来はみんなから頼りにされる薬屋
そういう店に対して何の想い出もないのは悲しい

街の個性が失われてみんな均質化していくのは、
そこに住む人の個性にも影響してくるのではと思うのだ

どの街にも駅前に大型スーパーができて、仕事帰りの人々が自動的に入ってく
カゴを持ってドアに飲まれていく


まんが喫茶と駐車場とパチンコ屋だけは健在で、
あとは24時間の弁当・惣菜屋に、やたらと安いラーメン屋、もちろんコンビニ

物が並べられ、何も言わなくても何でも買える物置き

食券を買えば食べ物を食べられる餌場

東京人は、そういう街に住んでいる

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by misejimai | 2006-05-23 03:14 | 薬屋さん
2006年 05月 23日

3種類 3番組

e0030939_264499.jpg今日は久々、「テレビ・雑誌に紹介
されました」。
広尾のイタリア料理屋さん。

それぞれうまい具合に紹介されて
いる料理が違う。

3つの番組が紹介したいものが実際に違ったからなのか、
それとも店側の戦略で「今回はこれイチ押しです!!」と薦めたのか。



しかし、店側の戦略の線は薄い。
まず「新・どっちの料理ショー」は毎回、メニューが 「◎◎ vs ××」と明確に
分けられていることが多い。
よって、「どっち」で紹介された「ナポリタン」に関しては、ちょうどナポリタンの美味しい店か
なんかを探していて、この店に決めたのだろう。

しかし、ナポリタンが「どっち」の対決メニューとして挙がったのは確か去年の8月だ。
店を見たところ、結構人が入ってるので、去年紹介されたことを今さらここで言わないだろう。

そういうことをするのは、あんまり流行らない店、もしくは紹介されたら、いつの時期であろうが、永遠に店の宣伝に使い続ける店ぐらいだ。


さて「メレンゲ」で石ちゃんが広尾を回っていたのは、今年の・・・2月くらい?

となると、「どっち」と「メレンゲ」で紹介された時期が大きくずれている。
この「ズレ」をどう見るか。

で「はなまるマーケット」は、多分、「家でもシェフ並みに作れるイタリア料理特集」かなんかで、
取り上げられていたのだろうか。




以上は店主に聞けば一発なのだろうが面白くないので、敢えて謎にしておく。
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by misejimai | 2006-05-23 02:32 | テレビ・雑誌に紹介されました
2006年 05月 23日

これいいね!

e0030939_1553748.jpg今日は北千住で見つけた、
「だって!」















だって!
来月から路駐がしづらくなるから、
他のところにも広まるといいね!
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by misejimai | 2006-05-23 01:58 | だって!
2006年 05月 21日

生まれは東京オリンピック

e0030939_1837362.jpg今日の店じまいは、目黒駅西口の
老舗中華料理屋さん、上海園。
高度成長真っ只中の東京オリンピックの年に開店した
という。

店主の威勢のいい声がいつも店の外にも聞こえていたが、
彼はこの文言を入れることで何かを伝えたかったのだろうか。

さて閉店の理由は「地上げ」。
地主が土地を売り払い、新しいビルを建てるのだが、
そこのテナント料が今までの3倍と莫大なものになる
という。
結局、店を維持することが不可能となり、幕引き。





そして3カ月後-


以下は、東京オリンピックの開会式を実況した、故・北出清五郎アナウンサーの中継をもじりました。

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世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、
素晴らしい解体日和でございます。







パイロンの入場であります、
赤いの炎、黄色と黒のトラパイプをたずさえて、パイロンが
入場してまいりました。







e0030939_19145817.jpg栄光の最終解体業者は明治19年生まれ、
首都圏を中心とした地域への都市ガス供給を
通じて、お客さまの豊かな暮らしや産業の発展を
支えている120年の老舗、東京ガスくんです。
不要となった供給管の撤去工事をしております。










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あの戦争の敗北による荒廃の中から、今日本は復興しました。
東京オリンピックが開かれた年に生を受けた上海園が、
今、風前の灯として、足取りも重く断末魔への階段を上っていきました!

消える上海園の聖なる灯、商業主義の精神で集え新たなテナント!!

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by misejimai | 2006-05-21 19:23 | 料理店