店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

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カテゴリ:有名人のお店( 4 )


2006年 07月 03日

曙の店が閉店

今日は「有名人のお店」の閉店。

かつての栄光どこへやら、土俵際なんてものじゃない、
国技館の外にまで押し出され、今やどこへも行くあてもなくなった「曙」。
枕草子もびっくりの、春眠状態は続く。

あれは3年前、
「3人の子供たちに、自分の戦う姿を見せたかった」と、帝国ホテルという最高の舞台でK1参戦を表明した2003年11月6日。

実はその陰で、咲いていた花がひっそりと幕をおろした。
「ZUNA GRILL」。
かつて栄華を誇ったキャバレークラブ・ミカドの跡地にオープンした、
曙を代表取締役とするレストランだ。

まさかミカドの呪縛が店をそうさせたのではあるまい、
しかしわずか1年であっさり幕引きを考えると、何かあったのかといぶかしがってしまうのも当然だが、オーナーの曙が「もう辞めたい」と同店のプロデューサー、アルバロ・ペレスさん
に弱音を吐いたらしい。

まあ、当初はものめずらしさでやってくるお客もいたが、その目当てはやはり「曙」。
巨体がいない店は、クリープのないコーヒーと一緒で、
オープン3カ月後、曙が見せに姿を現さなくなってから、客足もパッタリ途絶えた。
また月並みだが、「平均単価8000円の高額さ」や、「内輪だけで盛り上がっていた感のある
接客の悪さ」も悪評の1つであった。

それに比べて、かつての若乃花、若様のダイニングちゃんこ屋は大流行り。
商売の才覚に欠けていたのかとみるのが大筋か。

だが、閉店の裏には、そのころ、品川に1億5千万円の新居を購入し、金銭的に余裕が
なかったのではと見る識者もいる。

派手な世界だと思われがちだが、日本相撲協会からの月給は100万円。
東関、かつての高見山から年寄株も譲ってもらえず、愛弟子への愛情は2倍、2倍どころか
限りなくゼロに急降下。

もともとはと言えば、尽くしてくれた相原勇を足蹴にして、一方的に振ったと思ったら、
妻クリスティーンさんと大一番を演じて「できちゃった」婚、それが原因で後援会は解散して
しまう。

部屋にも協会にもファンにも居場所を失ってしまった「不曙」は、自分がまだアメフトで輝いて
いた頃、母親に作ってもらった故郷・ハワイの家庭料理をアレンジして、店をオープンさせた。
インテリアは、自分がいつも座るわけでもなし、通常の1,5倍と広めに取った特製ソファなど
いろいろ自分なりに凝ったらしい。

開店パーティーには、やはり赤坂一等地、華やかなところには必ず現れるスポットライト嗅覚の持ち主、叶美香(ピンで)や、なぜか西武のお懐かしきデストラーデ選手も来るなど、
勇躍オープンで実業界も綱取りか!?と思われたが・・・

曙はそのパーティーで、
「『ZUNA』は単なる店名ではなく、ひとつの屋号として、ゆくゆくはハンバーガーショップ、
『ZUNA BURGER』や、『ZUNA CAFE』も出したいですね。それも日本だけじゃなく、
ハワイなどでも…」と、いつもより鼻息が荒かったのだが…。

K1参加を表明した1カ月後の大晦日、ふんづけられたカエルのようにリングに伸びきっていた曙・・・

それからというもの失神KO、判定負けと負けこんでいく曙。

相撲を取っていた頃も、彼は強靭な足腰や剛力ではなく、体の大きさを利用しての突進力が
特色だった。
5分、10分と持つ持久力もない曙は、店を5年、10年と続けていく精神力も失せ、
ボビー・オロゴンには判定負けを喫した後、「体重の重さより、ワキの臭いが辛かった」と屈辱的な言葉を吐かれ、
K1側からは「50キロ痩せなければK1出場は認めず、追放する」とまで言われ、
目も当てられない状態なのである。

丸い土俵から四角いリング。
どんな角度でもいいから、戦う居場所を見つけて欲しいものである。


※駐車センターの電話番号が分からない。弁明書の返事はどうしたのか?
  車が運転できないのも怖いのでやっぱり結局明日支払うことにする。
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by misejimai | 2006-07-03 17:13 | 有名人のお店
2006年 06月 23日

幸せな結末

今日は「有名人のお店の閉店」。

木村拓哉の両親が経営するイタリアンレストラン「ラ・ボニータ」がオープンしたのは、
1997年10月。

息子・拓哉はというと、前年96年のドラマ「ロングバケーション」で大ブレイク。
ピアノを習い始める男性が増えたり、撮影で使われたマンションが一大観光スポットとなるなど社会
現象になった。

さて、そのころ木村は、1匹の犬をもらう。
誕生日に、ドラマ「眠れる森」のスタッフがプレゼントしてくれたのだ。
黒のラブラドール。

彼はまだ名もない犬に、スペイン語で「きれい」「可愛い」を意味する「ボニータ」と名づけ、
かわいがった。スタジオにも連れてきたことがある。
番組では何度となく、犬の話題をした。
初のフォトエッセイ「解放区」の表紙でボニータを見つめていた。

大好きな海にも連れて行って遊んだ。
だが、あるとき沖まで流されてしまい、慌てて海上保安庁を出動させたこともある。

そんな息子が溺愛する犬の名前を、両親は新しく始める店につけた。

1、2階合わせて26席の小ぢんまりとした店。
料理は基本的にイタリアンだが、味は日本人向けにアレンジ。
本場のメリハリのある味より、やさしい味にした。
母親が接客。父はもっぱら経営。店にも顔を出すこともあった。


「ラ・ボニータ」はSMAP、キムタクファンでオープン当初からにぎわい、
なかなか予約が取れなかった。
子供から92歳のお年寄りまで、全国から食べに来た。
勢いを駆って、川崎の鷺沼にも店を出した。

だが、去年の7月27日、一号店である砧店は店を閉めた。
この日にちの理由は、店舗の賃貸契約が切れるためだという。


さて、その店名にもなった犬のボニータは今はどうしているのかと言うと・・・

木村が工藤の両親の家に婿入りした後、工藤家にマスコミが張り付き出してしまった。
そして昼夜関係なくインターホンを鳴らされるのでボニータはノイローゼになってしまったと
いう。

そこで環境を変えようとなり、結果、木村の実家に預けられた。

人気の息子が可愛がっていた犬の名前を、両親は店名として使い、店は盛況を極めた。
その後、息子にかつてのカリスマ性が失われていくのと歩調を合わせるかのように、
店に並ぶ行列もなくなった。
結婚後、飼い主である息子は諸事情により、愛犬を実家に預けた。
店は去年ついに幕引きをしたが、店名の由来となったボニータは実家にやってきた。

さて・・2001年に放送され、フジテレビ連続ドラマの平均視聴率1位を獲得し、
全話30%越えを果たした「HERO」にキムタクが再び挑むという。
「続編」を嫌い、「ロンバケ2」の話をも蹴った彼の心境にどんな変化があったのか。


だが、
かつての飼い主の胸のうちを知る由もなく、
ボニータは実家で幸せに暮らしている。
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by misejimai | 2006-06-23 00:13 | 有名人のお店
2006年 06月 17日

西村知美のダンナのお店が閉店

今日の「有名人のお店」の閉店は、西村知美のダンナがやっていたイタリアンレストラン。

タレント・西村知美。
夫で元CHA-CHAのメンバー・西尾拓美と結婚し、
現在は2歳になる長女を育てるママさんタレントとして活躍中だ。

だが、かつて彼女が「主婦」になるなどとは考えられなかったことかもしれない。

家にマンガ本は1500冊を所蔵。
50回以上はディズニーランドに遊びに行っているマニア。
車の運転はからきしダメで、何人かを車に乗せては1人は周囲の車の確認、1人は標識の確認など担当を振り分ける。
「缶詰は冷蔵庫に入れて冷やすべきか」などという質問を消費者センターに問い合わせる。
料理には2時間かかる。

・・・最初、「“かつて”彼女が主婦になるなどとは~」と書いたが、
以上挙げた行動が今も続いているかどうかは分からない。
今も続いているのだが、それを敢えて言う機会がないだけかもしれない。

それらを差し引いてもなお、周囲から「トロリ」というニックネームで呼ばれ、一挙手一投足を
心配される存在であったことは、業界にいる身としてはいろいろ漏れ聞こえてきたことでは
あった。


・・・しかし、愛は彼女をたくましくし、さらに夫の不甲斐なさは彼女を変えた。

西村知美が夫・西尾拓美と結婚したのは97年。
西尾は、萩本欽一、欽ちゃんの番組「欽ちゃんの欽キラリン5:30」(日本テレビ)の中で結成
したアイドルグループ「CHA-CHA」のメンバー。お笑いタレントの勝俣州和もその1人だった。

だが「CHA-CHA」も長くは続かず、4年で解散。
メンバーはそれぞれの道を歩き始めるのだが、そのとき西尾は「芸能活動はいつでもできるから」と、もともと好きだった料理の道へ。

渋谷・宮益坂のイタリアンレストラン「モンペトクワ」渋谷店の雇われ店長として腕を奮い始める。

ここはさだまさしが、高校時代の同級生・野津氏と共同出資しているお店。
つまりは、さだがオーナーなのだ。

広い店内は心地よい雰囲気に包まれており、料理はどれも安い。
アラカルトのスタンダードメニューがすべて1000円以下。
ワインやカクテルが豊富で手頃な値段なので大勢の仲間とワイワイ楽しく飲んで食べるのに
最適だったという。

いつも「お任せで・・・」と言うと、彼は料理とそれに合うワインを選んで創作料理を作ってくれた
とのこと。元アイドルとは言えちゃんと修行しただけあってなかなかのものだったとか。

初めの頃は元CHA-CHAファンなどが物見遊山に来ていたりするなど人気を誇っていた。

・・・だが料理が出てくるまでの時間が長い。
また「美味しいがボリュームが足りなかった」という声も。

そんなわけで閉店直前は夜の時間帯でも客が数人しかいなかったという証言もある。

折からの営業不振に、テナントビルのオーナーの倒産が重なり、2004年9月30日閉店。


さだまさしと共同経営している同級生の野津氏は五反田に同じく「モンペトクワごはん屋」を経営しているが、彼は雑誌か何かで「閉店の原因は私の責任。西尾は経営に関しては全くノータッチ」と語っていた。

渋谷店の収容人数は80人。ロスも大きかったようだ。

かくして夫は失職、次の新しい仕事を探すかと思いきや、親族が経営するサンフランシスコの
カフェに「修行」目的で手伝いをするべく、単身渡米・・・

西村知美は芸能活動と言う立派な「仕事」があり、
どうしても日本を離れるわけにはいかなかった。

その頃、テレビでは冗談交じりに「母子家庭です」と言い、メールやファクスで夫とは連絡を密に取り合っていると語ったが、今後の生活を考えると不安でいっぱいだったに違いない。

現に、今までも生活は安定しているとはいえなかった。
97年の結婚以来、2人はなかなか子宝に恵まれなかったため、
月に数十万円も医療費がかかるといわれる不妊治療に踏み切った。
西村は“お金のためなら”と、恥も外聞もかなぐり捨てて、100キロマラソンに挑戦したり、
不妊治療のドキュメンタリーまで撮影させてタレント活動を行ってきたのだ。

だが、2度の流産を経験。2003年に長女を授かった。
しかし、家族3人水入らずの幸せな家庭を手に入れた矢先に夫が失職・・・。

さて、アメリカで1年間、手伝いがてらの「修行」を終えた夫、
帰国後は自分のレストランをオープンさせるかと思いきや、結局現在働いているのは韓国料理店だという。

西村は今後も女の“細腕”で家族の面倒を見るしかない。
収入が不安定な夫と幼子のために馬車馬のように働き続けなければならない。

最近も夫婦生活について問われると、
「夫とは生活のリズムが違い、つい最近も1カ月ぶりに会った」と「からくりテレビ」で言っていた。
愛娘・咲々(ささ)ちゃんの育児はどうしているのかよく分からない。
だが、離乳食作りはすべて夫・西尾の担当だという。

「モンペトクワ」の名付け親はオーナーのさだまさしだが、
服の「もんぺ」と農具の「鍬」を合わせ「フランス語っぽい」ということで命名したという。
西村も、夫の分まで鍬を奮い続けるのかもしれない。
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by misejimai | 2006-06-17 13:22 | 有名人のお店
2006年 06月 16日

村上里佳子のお店が閉店

これからは有名人のお店の閉店についても記録・記憶していきます。
ただ書き綴るだけなので、ブログではなく、もはやメモ代わりになってしまいますが、ご容赦を。


まずは村上里佳子のお店。

代官山の一角に、子供服ブティック「TOM‘S KIDS」をオープンさせたのは97年12月4日。

彼女が子供服を作ろう、と考えたのはその2年半前のこと。

子供を生むとき、ある産院で同世代の専業主婦Aさんと会話が弾んだ。

その主婦とは4日違いで子供を生んだのがきっかけで知り合い、親友になった。

「なんだか子供に着せたい洋服がないね」

「じゃあ、作っちゃおうか」

新米ママは、子供を生んでみて初めて自分が着せたい子供服が全くないことに気づいた。

そこで2人は会社を興そうと奔走。

Aさんは結婚前に舞台衣装の仕事をしていたことも役に立った。

そして里佳子の友人にも助けられたりしながら、
ついに2人で「N&M works」という会社を起業した。

ブランド名のNとMは、里佳子の長男とAさんの娘さんのイニシャルを取ったものである。

Aさんは経営者兼デザイナー。里佳子は事実上の店長である。

「TOM‘S KIDS」で扱っているのは、タレントショップとはとても思えない、しっかりとしたもの。

Tシャツからワンピースまでシンプルなデザインのものが中心で、20種類以上。

値段は800円から2万円くらい。製品はもちろん手作りで、なくなれば「売り切れ御免」だ。

当時里佳子は31歳。

俳優・渡部篤郎と94年に結婚、子供にも恵まれ、主婦として多忙な日々を過ごしていた。

もちろん本業のタレントとしても2本のレギュラーに映画、CMと大活躍。

それに加えてこのブティック。

店に出る日は早くに起きてご飯を作り、幼稚園まで子供を送り、家に戻って掃除をし、

その後店の開店準備をし、店長を務めるという激務をこなした。

ただ当初、里佳子の想いは「儲けようというより楽しもう」というものだった。

だが、オープン7年目の2004年7月末、「TOM‘S KIDS」は突然閉店した。

近所のシヨップ店主に言わせれば、
「最近じゃ子供服のお店も増えちゃって、お客さんが散ってしまったのかもね」とのこと。

だが閉店の理由は別にあった。

Aさんはこれまで通り、小規模な店で、手作りの温かい感じの子供服を作ろうとしていた。

だが里佳子は人気とともに多角経営に乗り出そうとしていたのだ。

その予兆はあった。雑誌やテレビで2人の店が取り上げられてから全国から要望があって
通販を始めたのだ。

するとショップより断然、利益率が高かった。ショップは人件費や店舗の家賃、光熱費と
いろいろかかる。

そこで考え方の違いと、家賃の契約更新に当たる前に閉めようとなったのだ。

産院で知り合い、子供服について意気投合した親友ママ同士が始めたビジネスは、
順調であるがゆえに7年のときを経て、当初のささやかな夢から形を変え、ふたりの方向性が
浮き彫りになってしまった。


ピリオドを打ったの共同経営だけではなかった。

閉店から1年後の2005年、夫・渡部篤郎と離婚。

離婚届を提出したのはクリスマスが目前に迫る12月19日のことだった。

離婚の真相は様々な憶測が流れるが、やはりサイドビジネスの充実ぶりが新生活への決断に踏み切らせたという見方もある。
年商は今や10億円。もちろん通販でである。

残ったのは2人の子供と商才。

だが、「離婚してもオバさんだけにはならない」と記者会見で言ったように、

女40、今も愛を標榜し続けている。
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by misejimai | 2006-06-16 15:21 | 有名人のお店