カテゴリ:銭湯( 4 )


2008年 10月 03日

ある秋晴れの日

e0030939_1629201.jpg今日の店じまいは、先月9月30日で廃業した銭湯、
北区赤羽南にあった「玉の湯」。

創業75年。2代目の川上光江さん65歳は、能登からここに嫁いできて45年。温厚で、気さくな近所のおばちゃんといった感じで、物腰は柔らかい。秋らしい柄のチョッキの上にピンクの作業着が似合う。

1代目である、ご主人のご両親が健在だったため、仕事は最初は比較的楽だった。
番台にも早くからあがらせてもらった。高校卒業後、しばらく病院や役場の出納係をしていたので、お金の計算もすんなりできたという。










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住宅街、路地裏の店。もちろん煙突が目印。
赤羽駅から3~4分のところにある。
















e0030939_16314951.jpg当時は、日本はどこもそうだったが、お風呂がある家は
まだ少なく、ひっきりなしに客が来た。だが利用客のピークは
昭和38年。それ以降はゆるやかに利用者も減っていった。
それに連れ、たくさんいた従業員も減っていき、
こなさなければならない仕事も増えていった。

今はプラスチックでできてている、青字で屋号の入った
オリジナル黄色桶だが、昔は木桶。洗うのも大変だった。
洗った後、乾かしすぎてもいけない。手がかかった。
また嫁いできたときは薪で風呂を沸かしていた。

銭湯は3時50分から夜12時まで。なんやかんやと仕事をし、
気づけば朝5時。
駆け込むように床につき、昼には起きる。
そんな毎日をずっと過ごしてきた。








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光江さんはこんなことで、お客さんの減りを感じていた。
利用者が多ければカラン-ボタン式の蛇口-を使う人も増えるわけだから、湯気が出る。
すると、天井が高く、また湯気抜きの窓があっても、ペンキ絵も毎年1回は塗りなおさなければならない。
だがそれがいつしか、年1回が年2回になり、年3回になっていったという。



e0030939_1649249.jpg9年前、ご主人が脳梗塞で倒れた。
現在も入院生活を送っている。
光江さんは心臓を少し患い、坐骨神経痛に悩まされなが、パートさんや娘さんらとともに何とかやってきたが、去年秋からの原油高騰が決定的な打撃となった。

さらにこの「玉の湯」の悩みが、地盤沈下であった。
工業地帯だった赤羽は地下水の汲みすぎで地盤が緩むところが多かった。ここも、床がたわんでミシミシ言うほど。いろんなところに隙間が出来た。洗い場や浴槽からもお湯が漏れていってしまった。
お湯漏れがひどいので、ボイラーもフル回転。使う原油の量も
バカにならない。その原油が異常な値上がりをしたため、儲けは全て原油に充てなければならないという事態に陥った。

「ボイラーの燃料費として使っていた原油は、ドラム缶1本につき6万7千円だったんです。これを大体6~7日は使えていた。でもお湯漏れで1日でドラム缶1本使うことになった。1週間で70万円です。中普請するのにもお金がかかる」




赤羽には13軒の銭湯があったが、これで1軒減った。
銭湯の廃業の知らせは大体、夏の終わりから、秋~冬が来る前にやってくる。
冬場は比較的お客さんがやってくることが多いからだ。だがその分原油は使わざるを得ない。お客さんを迎え入れたい
のだが、燃料費を払えない。

話をしている途中、とある劇団の人たちが舞台の小道具として銭湯の備品を提供して欲しいというので
大挙してやってきた。
TANAKAのアナログ体重計、普及型のM字型緑座椅子や、仕切りの上にあるレトロ電飾広告板などを運び出していく。

僕はその体重計が運び出される前に、光江さんに乗ってもらうことにした。
今までいろんな人を乗せてきた体重計に最後に光江さんが乗るのである。
気さくさに「はい、いいですよ」とちょこんと乗ると、指したのは43キロだった。そう言えば、故郷のお母さんもこんなぐらい
だったかなあなどと思ってみる。


e0030939_1720357.jpg最後に、案内されて気になった、ボイラー室の奥の時計を動かしてみたいと申し出ると、
「あの時計?私が来たときからあるみたいだけど、もともと脱衣室にあったものじゃないかねぇ。そうだねぇ。動くといいねぇ」と声をうわずらせて、心を弾ませた。いつ止まったかは分からないという。

4時55分で止まった、その埃だらけの時計。
桟の上にネジがあったので、文字盤にある2つの穴にネジを入れて回してみる。



















e0030939_16433820.jpg薄暗いボイラー室で、光江さんがネジを回す。
最後、巻き上がってくるとキツくなってくるのか、回転が遅くなる。
「あ、お母さん、僕がやりますよ」
「ちょっと腰が痛くて・・・」

僕は一心不乱に回す。

ボイラー室の隣が、光江さんの住んでいる小さな部屋だ。
テレビから、国会中継なのだろう、誰かの代表質問の声が流れている。
「総理、安全な社会保障制度を求めます」

子供の賑やかな声も、湯が威勢よく出る音も、
親父の「は~」というため息も、何も聞こえない銭湯に、
そんな虚しい国会中継が流れている。

光江さんがぽつりと言った。
「いつも銭湯に来てくれていたオジさんがいたのね。でも赤羽
公園を行き過ぎたら、みすぼらしいんだけど、ものすごく似た人がダンボールの上にいて。一瞬、目が合って。それから、その人
来なくなっちゃったわね。悪いことしたと思って」


さて、
果たして、時計は久しぶりに・・・
・・・
・・・
動かなかった。
「まあ動かないわね」
「残念ですねぇ」




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店の前で記念写真を撮るが、長く話し込んだのか、日が落ちて
うまく撮れない。




夜、今日のお礼の電話を光江さんに差し上げたとき、
再度確認してみた。
「時計、動きました?」
「やっぱり動かない。ありがとうね」
いや、こちらこそありがとうございました。
玉の湯のもとには建設業者がその日も訪れていたという。
マンションなどの話がひっきりなしにやってくるという。

その昔、日本に銭湯という文化がありました。
と15年後の社会の教科書にはきっと書いてあるのだろう。
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by misejimai | 2008-10-03 17:39 | 銭湯
2008年 07月 18日

憩いの場

今日の店じまいは、
東京・港区にあった麻布十番温泉。
3月、60年の歴史に幕。
街を形容するときに「古さの中に新しさがある」とか「昔と今が混在した」という言葉が使われるが、それがぴったりな商店街である。

六本木ヒルズからの、華やかで洗練された空気が流れてくる中、
地元の人々による土着の一本木な雰囲気も嗅ぐことができる街。

与太着の翁が柴犬を連れて散歩しているかと思えば、日に焼けたアメリカ人の
親子がセントバーナードを3匹も連れてオープンカフェでくつろいでいたり、
アメリカ発の「SUSHI」ロール店があるかと思えば、握るときだけ腰が伸び、矍鑠とする
大将が1人で握っている老舗の寿司屋さんもあったりする。


そんな「セレブな老舗」、麻布十番のランドマークが、この温泉だった。
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1階は銭湯「越の湯」。
3階が天然温泉の「麻布十番温泉」である。
「もともと銭湯として営業を行っていたが、井戸を掘ったところ温泉が湧いたことをきっかけに業態を変え、営業を続けてきた」と記事にはある。

麻布十番の街を一番高いところで見下ろしてきた煙突は、いつの間にか近くの38階の超高層マンションに軽々と越されて、どこか肩身が狭い。

僕が行ったのは最終日。
お客さん-それも全て女性-が、番台へいろいろな想いを述べている。
「辞めちゃうの?」
「これからどこに入りに行けばいいの?」
「サウナができたとき嬉しかったのよ」
「最後にこれてよかった」
・・・などなど。

番台のおばさんが、うどんやおでん、カレーなど軽食を作ってくれるのだが、
それを見て「何でもいい。何か記念に食べたい」という人もいたりしている。

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e0030939_11361422.jpg実家にかつてあったような、きれいなすりガラスを開けると大広間。






















そこは休憩所になっており、最後の時間を過ごそうと、風呂あがりの人々がボンヤリくつろいでいた。
何もせず、ただひたすらステージを見つめている人、
寝転がる人、
番台のおばさんが作る名物のカレーやうどんを食べる人いろいろである。

ステージ脇のカラオケの画面から、音楽番組みたいなのが延々と流れている。


廃業の理由は以下の通り。

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代表の平岡久栄さんは当時、
電話越しに「取材攻めでしんどい」と言いながらこう答えてくれた。
「ここに麻布十番温泉があったことは覚えておいてほしい」。

今は不動産屋が未来のために買い取っている。



男湯に、小さな娘さんを連れた男性がいた
「かゆいところないか~」と頭を洗ってやっていた
薄壁1枚、隔てた向こうから、母親であろう女性が娘に言った声が聞こえる

「ちゃんと肩までつかりなさいよ」

それには娘は答えず、
狭い湯舟に響くケロリンが代わりに答える
名残惜しそうに風呂場でカランと鳴いている

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by misejimai | 2008-07-18 13:32 | 銭湯
2006年 10月 05日

静けさや 風呂にしみいる 桶の音

今日の店じまいは、西武新宿線・都立家政駅徒歩3分、
中野区若宮3丁目の「松の湯」。


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創業50余年
3人の子供も、学生時代はよく手伝っていたが、
嫁をもらい、嫁に行き、家を出てしまっている

ちょうど番台のおじさんと話していると、未婚の長男さん(44歳)が風呂に入りに来た
実家が銭湯というのは、ちょっとうらやましい

だが、それは単にお風呂を使えるという面からだけで、
儲からないことには話しにならない

「始めた頃はうまくいくと思っていたが、やはり各家庭に風呂が
できると、来る客も少なくなった」とおじさん

ラーメン屋は「スープ切れました」「麺がなくなった」と
言えばその日の営業は終わりにできるが、銭湯は「お湯が
なくなりました」とはいえない

客はどうしたって客である、終了時間の間際に来ようが、
追い返せない
だからといって、ずっと開いていても、それ以降、客足が
全く途絶えることもある

修繕費がバカにならず、
湯島にいる大家からは5年もタダで借りているという
ここを取り壊した後、大家は3階建てのビルにするそうだ

店の中の撮影はまがりなりにも営業中であるし、
「妻にも了解を取らないと」と言うので、
後日再び撮りに行くことを約束して家路に戻る
ケロヨンの桶が名残惜しそうに、広い風呂場でカランと音を立てている

さらに広い脱衣所にぽつりとあった、昔ながらのマッサージ機に
座ると、不自然な動きをしていた
久しぶりの客にびっくりしたらしい
僕が話している40分、長男以外、誰も客が来なかった
雨降りの日の、誰も客のいない銭湯は寂しい


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閉店 松の湯
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by misejimai | 2006-10-05 21:31 | 銭湯
2006年 06月 14日

銭湯が999軒に

e0030939_23305141.jpg今日の閉店貼り紙は、
杉並区荻窪の銭湯、おぎの湯。
杉並に住んでいたとき、
よく通ってたことがある。
銭湯で入浴後、屋上で
たいして上手くもないゴルフの
打ちっぱなしをし、
近くの図書館で本を借り、
夕方つけ麺を食べ、
自転車で銭湯の煙突を
背にしながら夕暮れの
青梅街道を帰るというコースが
最高に贅沢だった。
ここの看板娘(女将さん)は2年後、
近くにカフェを作る目論見で勉強中。
跡地はマンションになる。






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入り口 には木札で管理するようになっている下駄箱
番台には50代の看板娘
脱衣所には古い型の体重計が置かれ
冷蔵庫の中には牛乳
ペンキ絵は一般から公募した絵柄
でも半分しか描かれておらず、残り半分が描かれている女湯が見たかった
壁際に机が2つ並んでいてインターネットができるようになっている
微妙に古い映画の無料貸し出し
熱くもなく温くもない湯温
すっくと 立ったこの煙突

たなびく煙はもう見られない



e0030939_2345352.jpg銭湯に行かなくなってどれくらい経つ
でしょうか。
6月頭の新聞に、都内の銭湯が先日、
1000軒を切ったと出ていました。
全盛期には2,600軒あったそうです。
6月から大人の入浴料金が400円から
430円に値上がりしました。
客離れと後継者不足に原油高騰の
トリプルパンチが原因だとか。
魅力的な銭湯を作っていかないと、
この廃業スパイラルは止まりません。

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by misejimai | 2006-06-14 23:56 | 銭湯