店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

misebiraki.exblog.jp
ブログトップ
2006年 07月 28日

人情はそこにあるものではない

e0030939_22135046.jpg
今日見つけた閉店貼り紙は、
台東区根岸の蒲鉾屋さん、和泉屋。
現当主で3代目、明治から100年
続く老舗の蒲鉾屋さんだ。
故林家三平師匠、海老名香代子さん
から林家こぶ平さんに至るまでこの店のファンだった。















e0030939_22141863.jpg
今年94歳になるおじいさんが1人で
切り盛りしていた
やはり年寄る波には勝てず、
ついに幕を引いた
2人の子供たちは誰も店を継ごうとは
しなかった
ここ数年、何度か店に立つのを
あきらめたこともある
仕入・製造・販売
すべてこなしていた











e0030939_22143645.jpg孫が今、鹿児島でコンビニの店長を
やっている
彼はブログで言う
「自分が今ある自分の生活を全て
投げ打っても構わないとしたら、それを人間関係が許したとしたなら、一番に後継ぎの手を上げたのだが・・・」

流れている商売人の血
ただし時代が変わると業種も変わる
ようだ











e0030939_22145251.jpg


「加満ほ古處」と
書いてある











僕が何より心を打たれたのは
その近隣の人々すべてが
店をたたんだことを知っていて
みんなが名残惜しいと口にしたことだ

人情が残るとはこのことではないだろうか
今や観光地にしかない「人情」

しかし
人情は、道端に転がる石ころのようにそこにあるものではない
意識して育むものだ

私たちはすでに、人情を育もうとするコトを放棄して
観光地へ足を運んでは、すさんだ心を癒し、
そしてまた都会の波に埋もれては、やさしさを失う


今や隣に住んでいる家のことを知らない人が増えた
店が閉まったときも同様で
閉店後、近隣の人々は閉めた事情も
知らない
名残惜しむ声も口にしない

店主が周囲に、閉めた事情を言う必要も無いのかもしれない
だが地域全体がその店を育てているのが本来の在り方だとしたら
やはり周囲には真意を伝えてもいいのかもしれない

子供もそうだ
地域全体がその子を育てていた
今や、個に個に行き、親が子をあやめる

隣の家にも我が子にも
本当に心を許すということを私たちは忘れてしまっているようだ

さて電脳世界の仮想商店街は今大繁盛だとか


そう言えば
団塊の世代が一斉に定年退職して、オヤジの街・新橋も将来つぶれるなぁ

[PR]

by misejimai | 2006-07-28 22:23 | 蒲鉾屋さん


<< バトル・ロワイヤル      2カ月後 >>