2010年 10月 19日

日本一まずいラーメン屋

これまた備忘録なのであしからず。まったく文章になっていません。
いずれちゃんと形にします。

今年1月に閉店した日本一まずいラーメン屋「彦龍」。
サンジャポのジャーナリストが来ていた。多摩テックに次いで2回目だ。インタビューされそうになったので断った。

取材日を確約して行ったら、休みの看板。
その場で携帯で店に電話をしたら、たぶん2階にいるのだろう、
電話口で聞こえてくる話し声が2階から聞こえた。
「そんなの約束した覚えないよ。またにしてくれ」。

空振りのため2度目の取材。
原憲彦さん62歳
原因を聞くと、
「足の軟骨が溶けている」
「肺炎になりかかっている」と体の不調が原因。

2009年夏。年末にすでにやめようとしたが、何人かの人が続けて欲しいと、7月にロフトでイベントを開いてくれた。
ただそのときも足が悪く、階段の手すりにつかまりながら歩いていた。

ちなみにそのときなぜか大喜利も開かれ、原さんも答えた。
「店が放火魔に襲われないための画期的な対策は?」
「やれるもんならやってみろ」

「ラーメン屋でラーメンを食べたお客が「お金がない」といわれた。どうする?」
「110番を呼ぶ」

「巨乳の魅力を分かりやすく伝えて下さい」
「ボインは触り心地最高だけどペチャパイはダメ」


さらに高まるお客さんの「やめないで」の声に押されて年を越して、1カ月延長。
1月に閉店したというわけだ。

いろいろな店を渡り歩いた原さん。
上野御徒町、駒込、茅場町、田無、大塚のホープ軒などなど。
なぜ渡り歩くかと言うと、「1軒の店の味しか覚えられないから」。
それを繰り返すこと20年。
修業し続けた一匹狼。

そもそもラーメン屋に身を投じたのは、
中学卒業後、1年何もせずにいたら、母親に「どこへも行かないなら働け」と言われて。
「食べ物屋は食いっぱぐれがないので食べ物屋がいいな」と探していたら、
何かで見かけたラーメン屋のバイト募集があったのでそれを応募した。
そして20年後、自分で開店。

すでに父親は他界していたが、母親は独立し、自分の店を開店した年に病死してしまった。
入院にしている近くの病院に自分の作ったラーメンを持って行ったが、麺が延びて美味しくなかったようだ。

それまでは、今やっていた場所ではないところで開いていた。
主に仕事終わり、飲んだ客が来ていた。
夕方から朝4時までやっていた。
フリーの客が多く、常連客はいなかった
ただ特にまずと言われるわけでもなく「普通」だったと思う


そしてここへ移転。
すると「ごっつええかんじ」で取り上げられた。
「日本一まずいラーメンを作ってくれるラーメン屋を探しているんです。
 出てくれないか」という。
「最初は断った。だって、そんなこと全国に知れ渡ったらつぶれちゃうから」

出演を決めたのはギャラの額。
1回5万円で出演していた。

93年に出演したこの年、大人気となり、1日300杯も売り上げた。

「そのあと6年ブランクがあるんだ。うちがもう一度ブレイクしたのはタケシムケン」。
ビートけたしと志村けんの2人によるバラエティ番組で企画された
「日本一まずいラーメン王決定戦」
ここで6連勝し、6回目に志村さんが来た。

「やっぱり美味しいラーメンを作ろうとしました?」
「オレは志村さんの大ファンだから うめぇとかまずいとか関係ねぇ」
 そして裏側を明かすと、7週目で負けることになっていた。

「ほいでよ最初はグーじゃんけんポイを言いだしたのは志村さんなんだ、しらねぇだろ」
ドリフ好きならだれもが知っている事実、だが「知ってる」と言えず言葉を飲み込んだ。

「もう一度志村さんに会いたいですか?」
「1回会ってみてーなー」


「いや、タレントの気持ちも分かるのよ。美味しくても美味しいと言えない。
 タレントさんに会えなくなるのは寂しいけど、でも毎日毎日入れ替わり立ち替わり
 来てるわけじゃないし、そこまで我慢してまでやることじゃないからねしょうがないね。

「味は人によって好みがあるのよ。
 でも僕に言わせればみんなひこりゅうのラーメンはまずいと思って店に来るからダメ」


プライベートでは33歳で結婚したが4年で離婚した。

「閉店を決めてから初めて来るお客さんにはどう思いました?」
「駆け込み寺みたいに閉店するって聞くといきなり来る。
 20年を日に直すとえらい日にちだよ。来れないわけがない。勝手だよなあ。
 だってここから近い団子坂に住んでたおばさんがいてさ、
 『どこから来たの?』と聞いたら『団子坂ですよ』って。
 『彦龍やめるんですって?ネットに出てたから、閉める前に来ようと思って』。
 20年の間に来れるだろ。日にち計算したら。閉めるから慌てて来やがって」


食べにくるお客さんは大体分かっている
すっごい話したい
一緒に写真撮ってくれ じゃあ200円 今までで1万円くらいにった
店のファンピョコタンさんと旅行にもいっている
ロフトのライブも開いてくれた


余生は西日暮里のパチンコへ自転車で行って打つという。
「テナントは売る、貸そうと思ったけどいろいろめんどくせーから」
志村さんとたけしさんには感謝してる。


「お手伝いする人とか弟子とか雇おうとか思わなかったんですか?」
「思わない。全部で店は7席そのくらいさばけないようじゃ・・・」
「プロじゃない?」
「そうプロじゃない。まずいラーメンと美味いラーメン両方作れなきゃダメ」
「ものはいいようですね」


「ホンジャマカの石塚さんは来られた?」
「石塚と会ったって仕方がない。なんか近くの根津にしょちゅう歩いてるよ。でも石塚はこんな店
 来たらびっくりするだろうる。まあこれだけの大物と会ってるから別に」


「是非一度食べさせたいのは誰ですか?」
「安めぐみだね、オレファンなんだよぉ、カレンダー2階にもあるし、目が癒し系で好きなんだよ
 ねぇ、裏じゃどうなってるかしらないけどさ」


完全自腹でやっているこの取材、なけなしのお金を封筒に詰めて取材費として渡すと
「え、これっぽっち」
「すみません」
「しょうがねえなあ」


店で一緒になった池袋から来た青年4人。
ダウンタウンの番組を見て行こうとようやく決めたという。
だが頼んだ野菜炒めに味がないのか、コショウを足していた。
だが食べている途中あり得ないむせてた。

僕のほうが先に野菜炒めを頼んでいたので原さんに「すみません、僕、野菜炒め
頼んでたんですけど」と言うと、「え?そうだっけ」
出てきた野菜炒めは、ハンパないザク切り。しかもコゲている。


店を出ると時ならぬ行列。初めての客がおそるおそる入っていく。
入る勇気も並々ならぬものがあるのだろう。

店から出てきた16歳の高校生2人。
「どうだった?」
「いままでたべたことない味」
「食べられる不味さ」
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by misejimai | 2010-10-19 12:57


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