人気ブログランキング | 話題のタグを見る

店じまい・店びらき ~閉店のヘキレキ~

misebiraki.exblog.jp
ブログトップ
2010年 01月 17日

屍の街

去年の秋に僕の活動が日経新聞に掲載されたとき、
すでにお店を閉めた方から手紙をいただいた。

1つ目は福生の豆腐屋さん、
2つ目は中野ブロードウェイの呉服屋さんだった。

そして今、僕はかつて呉服屋さんの主人であった
末次貞一さん(66歳)と、かつてお店があった中野ブロードウェイを歩いている。

フィギュア、トレーディングカード、古本…
雑然とした空間の中で、他の客に聞かれないように、
末次さんが小声で「ここは薬屋だった」「ここも同じ呉服屋だった」とつぶやく。

末次さんの店「丹後屋」のオープンは1972年。だが11年前、その28年の歴史に
幕を閉じた。

高級ブランドショッピングモールだった中野ブロードウェイ。
客もそれなりのハイソな人が来ていた。

末次さんは、かつて呉服問屋に勤めていた経験を生かし、お客に合わせて商品を変えて
いった。
「義理人情といったものはなかったかもしれないんだけどもさ、
 商品だけで結びついている関係だったかもしれないが美的センスには自信があったよ」
末次さんの薦める着物はことごとく、その人に似合っていたという。

だが1980年に開業した「まんだらけ」が徐々に中野ブロードウェイを浸食し、
それにつられて他のテナントも業種が激変。

自ずと寄りつく客層も変わってしまい、
それまでは冷やかし客でも100人いたのが0人になってしまった。

そして末次さんのかつてのお店の跡地には、
ほほえみをたたえた美少女フィギュアがガラスケースの中にひしめいていた。



文化が文化を駆逐するということは商業の定理である。
だから必要以上にセンチメンタルに浸ってもいられないし、別段、このブロードウェイは
むしろ個人的に好きだったので(いい漫画が揃うので)、
萌え萌えの美少女を見ながら、なんだか無性に腹が立って、悲しくなってきた。

末次さんと再会を期して、駅前で別れた。
「お会いできてよかったです」。
深々と礼をすると、踵を返して去っていった。

末次さんは今後、自分の経験を生かして零細企業や小企業への経営相談所を設立すべく
準備しているという。

別れた後も末次さんの言葉が頭から離れなかった。
「ここは死んだんです」
「ここは?というと」
「中野ブロードウェイです」
かつての店を前にしての末次さんの言葉は重かった。

あなたの街の商店街は死んでますか?

by misejimai | 2010-01-17 23:51


<< 生きてることが切ないね      注意書き >>